高千穂町の民俗


昔のくらし


 明治の初期頃まで、高千穂地方の農民の暮らしは苦しく、生活に必要な衣類などは大部分が、地方の特産物である麻の繊維で自給されました。
 「コギン」と呼ばれる作業衣なども代表的なもので、履き物には「足半」と呼ばれる藁草履、麻糸で編み上げた「ひねりたび」などがありました。


 食生活は貧しく、ほとんどの人がトウキビ(トウモロコシ)や麦を主食とし、粟・稗・黍・里芋などを混ぜて常食としました。






 家の形式は一般に寄棟造り、萱葺きで七五三のウマと呼ばれる千木をおきました。間取りは、庭から向って「で−どこ」(「台所」・土間)、「ごぜん」(「御前」・居間)、「おもて」(「表」・客間・24畳くらい)、「つぼね」(「局」・寝室・隠居座・産屋)などに分かれ、天井は長竹を敷き込んで物置代わりに使用しました。この母屋の外、庭先には便所、馬屋などがありました。
 今日残っている古い家屋の多くも内外装は改装されていますが、特に神楽宿として使用される民家ではこの間取りの名残りが残っています。夜神楽が行われる際は一般に、「おもて」の神棚側約半分(8畳分)を舞場である「神庭」、「つぼね(上ん間)」を舞手が控える「楽屋」、「ごぜん」は主に関係者・賓客席、残る部分をその他見物客席とする例が多いようです。
 TR高千穂駅前には町内の古い民家が移築され、一般公開されています。また、岩戸地区五ヶ村の「神楽の館」(天岩戸温泉下)は日之影町大人地区から民家を移築し改装したものです。押方地区にも古い民家を移築・改装して資料館・レストランとして利用されている施設(写真)があります。(展示施設のページ参照

高千穂の伝統的民家の一般的間取り(小手川善次郎氏の遺稿などを参考に作図)


    かまど   




  台所(土間)






       入口
押入 押入 神棚 押入 仏壇 押入
           
ごぜん




 囲炉裏     
 (ゆるり)    


          
おもて




囲炉裏
 (ゆるり)

つぼね
  (上ん間) 
つぼね
  (下ん間) 



萱葺の民家を利用した施設(押方神楽宿)1999.2.20


高千穂の方言 
 西臼杵郡は、むかし高千穂郷といい、三ヶ所弁と高千穂弁が使われていました。三ヶ所弁は肥後・筑後の影響が強い「肥筑系」に含まれ、高千穂弁は豊後・日向で使われる「豊日系」に入ります。高千穂町では、ほとんどの地区(高千穂・田原・上野・岩戸)で豊日系が使われていますが、これは古くから延岡や竹田との交流が強かったからだと考えられます。
 また、押方や向山などでは例外的な発音もあり、これらの母音変化例のいくつかを次の表にしました。このような母音の変化だけでなく、子音の変化や長短、語法にもいろいろな特徴があります

原型 豊日系高千穂弁 肥筑系三ヶ所弁 中間地帯押方・向山
無い ネー ニャー ヌー
浅い アセエ アシャー アスー
辛い カレー カリャー カルー
硬い カテー カチャー カツー
白い シリー シレェー シルー
多い オイー オエー オウー
遠い トイー トエー トウー

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高千穂の姓氏
 高千穂では独特の姓がいくつかあり、それぞれの人口も比較的多いのが特徴です。このため、会話の中に出てくる友人・知人のことも、姓だけでは意味を成さないので、必然的に個人名で表現する事が多いものです。
 主な姓として佐藤(さとう)氏、甲斐(かい)氏、興梠(こうろぎ)氏、飯干(いいほし)氏、などがあり、高千穂の歴史をたどると、それぞれの姓氏のルーツを垣間見ることができます。この他、「工藤氏」「戸高氏」「後藤氏」「田崎氏」「富高氏」「馬原氏」など。(詳しい資料


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