よくある質問(Q&A)神楽編


コミュニティセンターによく来る手紙や電話での問い合わせの中からよくあるものをピックアップしました。(^^)
このコーナーの答えで納得していただける方がいらっしゃれば、同じ質問が少しは減ってより深い質問にもお答え出来る日が来るといいなぁと思っている今日この頃です。


「高千穂の夜神楽」は、いつからはじまったのですか?

どうやって、いつということがわかるのですか?

★(神道を信仰してロマンを持ち続けていたい強い信念をお持ちの方への回答例)=これまでの観光ガイドの回答

古事記や日本書紀の天照大神が天石屋戸(天岩戸)にお隠れになった際、天宇受賣命(天鈿女命)が調子面白く舞ったのが始まりと言われています。


★(この答えでは納得できないという、合理的思考の方への模範解答)

考古学による埋蔵文化財の発掘調査によって、土器や石器などの遺物が集落や墳墓などの遺跡から数多く見つかっています。それらの中から「まつり」の歴史もわかってきつつあります。例えば、ネアンデルタール人の時代から仲間が死んだら花を手向けていたことも花粉分析からわかってきました。旧石器時代には石でビーナスの彫刻を作ったり、縄文時代には土偶や石棒などで安産祈願や狩りの成功を祈っていたようです。弥生時代になると銅鐸や銅剣・銅矛・銅戈、銅鏡などの青銅器を使った「まつり」とか、絵画土器では鳥の羽を付けたり顔に入れ墨をしたりなどの具体的な様子もわかりつつあります。古墳時代では踊る埴輪や力士埴輪などが古墳の上に並べられたり、装飾古墳の壁画には修験道の「反閇(へんばい)」を思わせる人物像も描かれているようです。(「反閇(へんばい)」については、辰巳和弘「古墳の思想」白水社、2002年に書かれています。)奈良時代では人面墨書土器で病気を治そうとしたり、土馬で雨乞いをしたりしていたようです。平安時代以降は陰陽道の呪術なども見られ、宮中でも「神楽」が行われるようです。

このように昔から何らかの「まつり」があっても「神楽」と呼んでいたか?は、「神楽」と書かれた記録が無いとわかりません。

では、高千穂での神楽の記録を見てみましょう。高千穂神社所蔵の「十社旭大明神記」文治5年(1189)「七日七夜のごじんらく」という記載があり、「ごじんらく」が「御神楽」だとすれば、(最近の教科書の1185年から鎌倉時代とする説では鎌倉時代から)(従来の教科書の1192年から鎌倉時代とする説では平安時代末から)何らかの神楽を行っていたことがわかります。

十社大明神と奉申すハ、天ぢくまかつ大国むろ之かうり、小野之里、興呂木之大里、志んむ(神武)天王之王子正市伊様。丹部野大志んむね重、若丹部野大志ん佐田重、ぎょけん(御剣)之かため御供仕あまくたらせたもふ。日向之国戸鷹(富高)より高知尾御登り被成、四方じがみねくしふりか山御下向被成、七日七夜御じんらく(神楽)、それヨり谷は八ツ嶺は九つ、しちぶつ七夜のいわ屋ほとり、あららきのさとと申所ニ大里ヲたて、御移り有。其後は高知尾山おく、二神山ほとりちんちがいわや有り。きはち(鬼八)ふしと申まへぬすむ、それたいぢ、いらせたもふ。御供丹部野大じん、若丹部大じん惣而四拾四人衆あなにおしよせ七日せめ、四拾弐人は鬼にうたれ、大生しん(大将神)が三人残り、うちむかわせたもふが、いはあなヲおち、にげ方ニ三田井原二追付たたかへば、大生は八尺之御よろいたまらずうちちぎる。佐田重是をみて、持たるけんヲからりとすて、ほうしにむつとくむ。是天地ニとうぜ日月まい下り、まもりあり、七拾五度ニくみふせ、大生鬼ヲ切取、池二むめ(埋め)おさへニ八尺之いしヲかけ、其上に土をむねたまへバ、おにつがりおさへのいしヲうごかしうどみ申ヨリ、三ツニ切り、三所ニおさめたもふ。其時、くわんじん旭大じん重鷹、かんずいせき百八つなぎ御りん衆(御綸旨)さずかり、是ニ改有、じみやう(寿命)まんざいの時御じゅずとさづかり、其後二岩屋ニまします八方びじん、喜崎ニなほらせたもふ。のち、市伊様、いち之おふじうまれさせたもふ。しげたかハ拾貳人之子さづかる。内、壱人、旭天によ之ひめびじん。にゝん、太郎之おふじとうせたもふ。其後ニ市伊様じみやう八百さいニならせたもふ。秋、重高召而之せんじニハ、ふしぎやなごくらくとおぼへたり、めいど之かぜ見(身)ニしむ。ひととむバ、みづとやいわね、たまつ○かすむ入得(入江)之有明つき一念みだぶつ、そくとつむりやう、かいがいじやうぶつ云云。(乃至)御ほきやう(御崩御)被成候バ、たいりヨリ戌亥ニあたりて、うきくもニのらせたもふて大正もんじ(大聖文珠)となのりて御きやう(御経)之おとヲなす。是得くゝら(不明)ヲ奉納とかきけすやうにうせたもふ。七日ニ當ル日、同くもニめされ、南無じやかにぶつによらい、しゆじやうさいど之ためとたいおんあげ、天ニひきあがり、東之方ニくもはしりうせさせたもふ。其後ぢじん五代之みよニ、みはか所ぢしん被成云云。此事、日本ニかくれなきニヨリて、善喜貳年みずのとう、本宮立、十社大明神とげんじ被成候御宮佐田重預り。御祭りもっぱらとする。後ニ、七度相定り。くでん有り。−(後略)成候。文治五年三月吉日。旭大神。

 
                                              ↑2行目に「七日七夜の御じんらく」がある。
 

 

 

 
                                                          ↑1行目に「文治五年」とある。
 



しかし、「ごじんらく」が「御神楽」でなかった場合はこれでは困ります。そこで、次に「神楽」が登場する古文書を探すことにしましょう。高千穂神社所蔵の長禄4年(1460)「桑之内二神外宮宣命之状」には「神楽」の文字が記載されています。


「桑之内地下、其外給人
之事。 二神大明神
神楽其余祈祷申事。
代々宣命ニ付、何事をも
神々ニ可申上者也。仍如件。
大神唯利判
于時長禄四年四月吉日
桑之内宣命殿」

次に古い文書としては高千穂神社所蔵の明応3年(1494)8月11日の「十社聞宮いわいかミはいたかへ寄進之状」があります。聞宮は、三田井の菊宮神社のことと思われます。


「い王いかミはいたかの
まつりのこめニ門口
のはたけ遣候。是又、
先代より志て
十社とうミやうの
はたけの事、
毎月朔日、十五日、
つもこりの夜、二月
八月、ひかんニとう
ミやう????
かねつきめんニ五百
地一、き志ん申候。
是又祢んころ
きんじ候へく候。
聞宮ニ二季の
ひかんの神楽
のこめニ、二百地
一、き志ん申候。是又
う気とり申され
神楽ほんそう
申候へく候。此條々
多しかに心得
申候へく候。依る如件。
明応三年八月十一日
大神惟治(花押)
十社宣命殿」

菊宮神社春祭の神楽奉納

文字資料以外の物的証拠から見てみると、岩戸の「尾迫の荒神」面が早稲田大学の安藤更生博士の鑑定(「高千穂・阿蘇」神道文化会、1960年)で室町時代とされ、柳宏吉氏が「日向の民俗芸能第三輯」宮崎県教育委員会、1962年で安藤説を室町時代末(16世紀頃)と解釈されています。


岩戸の尾迫の荒神面(2001.11.3)於:天岩戸神社

「高千穂の夜神楽」が今日のように三十三番が民家で行われるようになるのは、江戸時代末から明治にかけてです。それまでは神社の神職を持った「祝子(はふり→ほり)」が神社で舞っていたようです。高千穂神社には田部・田尻・田崎といった神官がいました。
新井白石や本居宣長等によって国学が盛んになると、古事記や日本書紀の神話を広く民衆に知らせる必要から国生みや岩戸開きや天孫降臨などの神話を取り入れた「三十三番」が成立し、神楽を舞う「祝子者(ほうししゃ)」もこれまでの「祝子(ほり)(=社家)」から「願祝子(がんぼり)」に拡大します。三田井浅ヶ部の樋口治吉郎と三田井栗毛の花田芳造は最初の「願祝子」の神楽師匠でした。
明治3〜4(1870〜1871)年「神職演舞禁止令」が出されると、里神楽は民間の手に移っていきます。

      
浅ヶ部堂園の樋口治吉郎の墓

下田原神楽では、初代師匠の内倉福松翁が下野神楽から伝えたという記念碑が広福(旧名・宮尾野)神社に平成2年(1990)3月に建っています。

  
下田原神楽の神楽伝授碑正面 下田原神楽の神楽伝授碑正面左面 下田原神楽の神楽伝授碑正面右面

上田原神楽では、正善寺の墓地の墓石に「願祝子」と彫られているものがみられます。

       
故願祝子取締佐藤源十郎墓           故願祝子内倉弥太郎墓

国学が盛んとなった江戸後期から明治時代は最も神道色が強められる時期でした。例えば、「天竺より…」という神楽歌を「天よりも…」に改造したり、「急げ人みのりの舟の出ぬ間に乗り遅れては誰や渡さん。」という神楽歌は仏教的なので歌わないようにしようなど具体的な改造の跡が古文書にも見られます。

戦後、昭和30年代の高度成長期に宮崎県はハネムーンのメッカとなり、観光宮崎の立て役者としてフェニックスなどの南国イメージとともに日向神話がクローズアップされ、村まつりの神楽もマスコミなどで紹介されるようになりました。観光色が強まると「神」が「楽しい」と書く「神楽」も、国民的演歌歌手三波春男さんの「お客様は神様です。」の言葉とも合い重なって、「人」が「楽しい」という色彩が強くなり、それまで残っていた儀式的な長い台詞などの省略などにもつながりはじめました。

しかし、カメラやテープレコーダ、さらにはビデオカメラの普及により研究者が増え、宮崎県にも民俗学の学芸員が増え始めると、「神楽」の「神」の部分の研究も注目され、地域毎のしきたりの違いなども明確になってきました。

みなさんも神楽をご覧になられると、そこには古代から中世・近世、そして現代へと通じる日本人が信仰してきた神仏の歴史を多少なりとも垣間見ることが出来ると思います。

「日本民俗学の父」柳田国男氏は、「我が国は一本の棒のようなもので、実際は斜めになっていて、山に向かって傾いている。昔の生活文化は山奥に残っている。」と言っていますが、高千穂神楽を見て、諸塚神楽を見て、椎葉神楽を見ると、高千穂神楽では主に近世後期の国学による神道色、諸塚神楽では神仏習合の修験道色、椎葉神楽では狩猟習俗やアニミズム色が強く残っていることがわかります。
このような各地の神楽の違いがわかってくると、やがてあなたは日本全国各地の山奥の神楽を見て歩きたい欲望にかられることでしょう。

  
椎葉村追手納神楽の猪        椎葉村大河内神楽の板起し       北郷町潮嶽神社に供えられた猪の頭

 
諸塚村南川神楽の三宝荒神         尾狩神楽ほら貝を吹く飯干泉師匠

それとともに、化石の研究者が「示準化石」といっている時間の基準となるべき「キーワード」探しに没頭することになると思います。
日本の神楽研究の第一人者、早稲田大学の故・本田安次氏をはじめ昭和女子大学の渡辺伸夫氏はいずれも英文学の専門家でしたが、言葉の起源を古典文学大系から探し出す名人で、時間の基準となるべき「キーワード」探しの実績を多くの論文に残されています。

最近では、メロディを五線譜に記録分析する音楽、舞のステップを記録分析する体育学、えりものの形を記録分析美術史学、神楽が舞われる舞台である民家の間取りを記録分析する建築史学、神楽に携わる人々の心理を調査分析する心理学など様々な分野の研究者が、それぞれの専門的な見地から神楽の研究をはじめています。

 音楽研究の分野で、松永建さんは楽器の太鼓に着目し、「ガク板が別のタイプ」→「ガク板が付くタイプ」→「太鼓が大きくなったのでガク板が付かないタイプ」に分類し、編年案を提示されました。板については銀鏡神楽の「シシトギリ」で猪をまな板に見立てている点に注目されています。
 しかしながら、「ガク板が付くタイプ」の師匠さんにお聞きしてみても「太鼓が傷むので保護のために付けたのですよ。」とおっしゃった地区もあり、古文書等による記録から確かめる必要性を大いに感じてしまいます。

       
球磨神楽青井阿蘇神社(1999.10.10)   西都市銀鏡神楽の太鼓(2001.12.14)…ガク板は別。  黒仁田神楽の太鼓(1996.1.29)…ガク板が付く。


神楽を見に行きたいのですが、誰でも見に行ってよいのですか?

一夜限りの氏子さんとして、一人当たり焼酎2〜3升か、現金(2〜3千円)を「御神前」として持参し、神楽宿の受付に提出すれば夜を通して三十三番を見ることができます。映画を行くにしても料金を払うわけですので、24時間もの長い時間の民俗芸能を見学するわけですから、御神前は忘れずに準備しましょう。愛知県の「花祭」でも、お包みによってバザー券や記念品(ゆのみやタオルなど)がある地域があります。「郷に入らば郷に従え」の精神でご見学下さい。


受付(上野神楽。2001.11.22)

しきたりについて、書こうと思えばいろいろありますが、日本国憲法の男女平等の精神と相反するしきたりもあるので、見学者の人にも十分な理解が無いと地区のまつりによその人がけちをつける事件が起こるかもしれません。
マスコミは飛びつくと思いますが、伝統芸能の存続には地区の方々の気持ちが大切だと思います。

以下、思いつくまま書いたので問題もあると思いますが、その点はご勘弁下さい。

神楽を舞う場所である「神庭(こうにわ)」は、神聖な空間と考えられていて、神楽の舞い手である「祝子者・奉仕者(ほしゃ)」や世話役である「なかぜ」等以外はむやみに入ることは禁止されています。女性の方の「神庭(こうにわ)」への立ち入りは特に厳しく言われていますのでしきたりに従ってください。



浅ヶ部神楽の神庭(1999.12.18)

地区によっては、「七貴神」で神楽舞い以外の男性に飛び入りで参加を認めている所もありますし、新人の「祝子者・奉仕者(ほしゃ)」が舞うしきたりの地区もありますが、しきたりに従ってください。なお、下田原地区では「七貴神」で神楽舞い以外の男性だけでなく女性に飛び入りで認めるシキタリですが、そこそこ地区ののシキタリですのでご理解ください。

振る舞い酒や食事などは地区や時間帯などによって有る地区、無い地区があります。また、浅ヶ部地区などでは「祝子者・奉仕者(ほしゃ)」のみのため、周辺の民家にお誘いがあれば付いて行ってご馳走になる事もありますが、神楽は見れなくなります。席を立ってトイレなどに行って帰って席が無くても文句は言えないと思ってください。

 
カッポ酒(中は焼酎です。)         浅ヶ部岩下神社で豆腐配り(1999.12.18)

お金やお酒を持ってきたのだから、ご馳走をいただくのは当然の権利だとか勘違いされている方も悲しいかないらっしゃったりしたこともあります。食堂ではないので、そこのところはご理解下さい。数年前、某地区で某旅行会社の団体客は食堂と勘違いされていた方々だったようで、「○◎が無いよ。お兄さん持ってきてよ。」の声にがっかりしました。

神楽宿ではいろいろ知りたいことがある方が質問や説明をされても、説明すること自体、見せ物では無いというお考えの方もいらっしゃいます。また、静かに鑑賞したいという方もいらっしゃいます。内容の解説などは、高千穂町コミュニティセンター(歴史民俗資料館)などで販売の図書などを入手されることをおすすめします。

カメラやビデオ撮影に際しては、必ず代表の方に許可を取りましょう。地区によっては、三脚が禁止の地区もあります。また、コンセントを借りることも宿に迷惑がかかるので、バッテリーを使うか、紳士的に代表の方にお願いしてみることが必要です。特に炊飯器が終結する神楽宿では特に迷惑をかけることになりかねないことを自覚しましょう。

携帯電話はマナーモードにしておきましょう。谷が深い地区では携帯電話の会社によっては電波が届かない場所があります。

神事の最中の撮影は、皆様の迷惑にならないように自粛しましょう。

せんぐ撒きなどの際は、バーゲンセール状態にならないようなるべく多くの方にも分けてあげましょう。

上野・田原地区では地割の竈荒神の袴の裾を村の女性が引く風習がありますが、その他の地区はそのようなしきたりはありませんので、行わないでください。


下野神楽の地割(女性が荒神の裾を引いている)(1999.11.22)

ご神前のお酒は、神楽宿の地元に近い焼酎が喜ばれる傾向があります。ちなみに高千穂町内には四社あります。

地区によってしきたりが違いますが、「その地区最高!」のスタンスで言動に注意しないと、お酒が入る場でもあるので、トラブルにならないように注意しましょう。


神楽を見に行く時に持っていくと便利なものは何ですか?

神楽マニア推薦の七つ道具を紹介します。
(1)ご神前(寸志)お金か、お酒。「高千穂の夜神楽」では、目安としては一人当たり焼酎2〜3本もしくは2〜3千円の現金。
(2)撮影機材…カメラ・ビデオ、フィルム・ビデオテープ、三脚・一脚、バッテリー・延長コード。宿によっては村中の炊飯器が集結し、夜食や朝食で一斉にスイッチオンとなり、ヒューズが飛んで停電になることもよくあります。その際、コンセントをお借りして撮影する場合、撮影が中断しますので、ノーカットで撮りたい場合は各自バッテリーを持参しましょう。ちなみに、記録写真を撮りたい方はなるべく広角レンズを持参し、早めに来て前方から撮るとバッチリです。しかし遅く来る場合は後から望遠レンズで狙うことになります。神楽は夜行われるので、はっきり言って暗いです。高感度フィルムや予備の電池を多めに持参しましょう。
(3)カイロ、ひざかけ・毛布などの防寒具。「高千穂の夜神楽」は、民家の中で行われます。しかし、「嬉しさに我は此処にて舞い遊ぶ妻戸も開けそ(開けての意味)御簾も下ろさず」の歌の通り、基本的に開けっ放しのため、外と同じ寒さです。登山用の防寒用アルミシートは携帯にも便利です。※神楽宿は狭いので、場所を取る座椅子などは大きな場所でないと迷惑になります。逆に向山地区は戸を立てる地区が多いようです。向山地区では汗を拭くタオルがあると良いかも。
(4)おやつ(おつまみ)、水筒、マイ割り箸、マイ紙皿、サバイバルナイフなどの食品や食器。特にブラックブラックガムや栄養ドリンクやコーヒーは必需品。携帯おしぼりもあると便利。カッポ酒の焼酎は竹のエキスがしみ込んでいて甘く感じますので飲み過ぎないように注意しましょう。お酒に弱い方はお茶やジュースなど持参されておかれた方が良いかも。地区によっては神楽の合間に頻繁に食事がある地区もありますが、基本的に出ないと考えられていた方が、出された時の喜びは大きいものです。
(5)神楽の解説本…図書館の郷土史料室などでコピーするか、高千穂町歴史民俗資料館で購入してください。絶版になっているものについては、古本屋で探しましょう。人文学系の学部のある大きな大学の周辺の古本屋が狙い目です。
筆記用具…祝袋や筆ペン。ノートとペン。神楽についてみなさんも記録に残しておきましょう。
(6)懐中電灯…夜トイレに行く時使う。それからティッシュペーパーも忘れずに。
(7)ビニール袋…せんぐのお餅や自分の靴を入れるのに使う。
この他、人によっては
(8)携帯電話(マナーモードで目覚まし時計として使う。朝タクシーを呼ぶのに使う。)高千穂町内では、携帯電話は電話会社によって通じるエリアが異なります。モバイラーな方は、GPSで地図として使う方もちらほら…。
(9)携帯用メトロノーム…テンポを計測するのに使う。
(10)俳句マニアの歳時記の季語辞典…俳句マニアは多いのでコミュニケーションに使う?
(11)名刺…友達が出来た時に使う。メールアドレスなどあると会話がはずむかも。
(12)モバイルパソコン…インターネットで神楽をリアルタイムで紹介したい人が使う。デジタルカメラのデータを逃がすのに必需品。デジタルカメラも広角が効くものが便利です。ただし、神楽宿は暗いのでASA感度を上げておきましょう。
(13)色紙…たまに有名人に会えることがあった際用。ミーハーだなぁ。(^^)
(14)魔法瓶にお湯を入れておくと、朝、自動車のフロントガラスが凍結しても溶かすのが早くて便利。お酒に弱い方がお湯割りするのも便利。
(15)自家用車で来られる方は駐車場に限りがありますので早めに来ましょう。田圃を臨時に開放したものが多いので、前日とか雨だったりするとぬかるんで脱出しにくい場合があります。帰りを急ぐ方は4輪駆動車を準備された方が早く帰れると思います。


どこの地区の神楽がおすすめですか?

どことは言えません。全部です。「高千穂の夜神楽」は大きく5つの系統(流派)があります。このうち、三田井系統が最も調査研究が進んでいていろいろな書籍が販売されていますので、本を見ながら見たい人にはお勧めです。しかし、その他の系統も自分自身が違いを記録する楽しみがあります。地区毎にしきたりが違うので、「郷に入らば、郷に従え」の精神でお楽しみ下さい。

平成13年度の三田井系統の浅ヶ部神楽と上野・田原系統の上野神楽と岩戸系統の下永の内神楽と平成14年度の三田井系統の下川登神楽と上野・田原系統の下野神楽と平成14年度の三田井系統の押方嶽宮神楽と平成17年度の押方嶽宮神楽の写真を紹介します。平成16年度の上野・田原系統の押方五ヶ村神楽下組神楽黒口神楽河内神楽下田原神楽上田原神楽、三田井系統の秋元神楽、押方二上系統の二上神楽と岩戸系統の野方野神楽の写真も紹介します。平成16年度の三田井系統の浅ヶ部神楽と日之影町岩井川系統の尾狩神楽黒仁田神楽の写真も紹介します。
平成17年度の三田井系統の浅ヶ部神楽の写真と上野・田原系統の押方五ヶ村神楽河内神楽上田原神楽の写真と岩戸系統の岩戸五ヶ村神楽と日之影町岩井川系統の黒仁田神楽の写真も紹介します。