高千穂町の主な寺院と仏教遺産


金龍山今山寺
 天台宗。 701年(大宝1)年の開山で、719年(養老3年)に堂宇が完成したと伝えられ、この地方でもっとも古いお寺です。本尊は十一面観音で、明治初年一旦廃寺とされましたが、1904年(明治37年)再興が許されました。(大字上野)


今山寺

集雲山龍泉寺
 曹洞宗。後鳥羽天皇(1183〜1198年)の第3皇子、寒巌義尹禅師の開山と伝えられ、七堂伽藍、末寺7ヶ寺をもつ大きなお寺でしたが、1578年(天正6年)、大友氏の兵火をはじめ、四度火災に逢いましたが、その後堂宇が再建されました。 本尊(釈迦如来)、境内に祀られている平安時代末期作の地蔵菩薩、観音菩薩は火災を免れ、火伏地蔵として、遠くからの参拝も後を絶ちません。(大字上野)



龍泉寺地蔵菩薩(県指定有形文化財)


龍泉寺十一面千手観音及脇侍(県指定有形文化財)

宝池山泉福寺
 浄土真宗。 903年(延喜3年)、天台宗浄源寺として開山、境内に970年(天禄元年)の墓碑もあります。 1472年(文明4年)浄土真宗に改宗、1496年(明応5年)現在の寺号となりました。(大字岩戸)


泉福寺

玄武山正念寺
 浄土真宗。天正6年大伴宗麟に攻め落とされた玄武城の城主吉村惣右衛門尉種供の父が種供の菩提を弔うため出家して道休と号し、興梠正善の庵をたずね開山しました。開基は正善、道休は2世、種供の弟道正は3世。寛永21年(1643)4代の釈浄存のとき、正念寺の寺号を免許され本堂を再営しました。明治の仏教弾圧下でも廃寺を免れ、今日に到っています。(大字上野)


正念寺

安楽山徳玄寺
 曹洞宗。後鳥羽天皇(1183〜1198年)の第3皇子、寒巌義尹禅師の開山と伝えられ、阿弥陀如来を本尊とし、高千穂の領主三田井家の尊崇も厚かったようです。延宝2年(1674)高千穂庄仏名帳には「釈迦。十社の之本地也。弐間四面。禅寺徳玄寺。」とあります。(大字三田井)


徳玄寺

弘哲山教願寺
 大字向山椎屋谷にある禅寺の義雲寺及び長福寺が慶長年間、沙門、順甫の開創により改宗相承され、浄土真宗弘哲山教願寺となりました。ちなみに、現在の住職の苗字も三田井さんです。(大字向山)


教願寺


経塚

高千穂町内の経塚には、青銅製経筒経塚2ヶ所と一字一石経塚があります。

  1. 二上山経塚…二上山の山頂に三角点を設置する際に発見されたという記録があります。現物は行方不明ですが、図面が残っています。
  2. 上田原きょうつか…上田原の「きょうつか」と呼ばれる丘が国道325号線バイパス工事にかかったため、2000年に宮崎県文化課が試掘を行ったところ青銅製容器の一部が発見されました。2001年に県埋蔵文化財センターが本調査を行いましたが、石組のみでした。

        
二上山経塚の図面          上田原 きょう塚(現在は国道325号線バイパス工事で消滅)


烏八臼(うはっきゅう)
烏八臼の3つの文字を1字にして表した文字がある墓石や庚申塔があります。(烏八臼のページ


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