米
高千穂で稲作が盛んになるのは、明治の後半のことです。灌漑開発、品種改良・技術改良が進むにつれ、耕作面積も生産量も伸びていきました。現在は「神楽米」ブランドで「ひのひかり」などを出荷しています。
その他の穀物
稲作が普及する以前はその他の穀物が生産されていました。大麦やトウキビ(とうもろこし)はかつての高千穂では代表的な穀物で、この他粟、ソバ、豆類の雑穀も盛んに生産されていました。いずれも自給食料としての消費が主目的で、穀物生産の主流を米に譲るのは昭和に入ってからのことです。ちなみに、高千穂夜神楽の「五穀」の舞に登場するのは米・麦・トウキビ・粟・豆(大豆)がです。農家の軒先に下げられたトウキビは、高千穂地方の風物詩の一つとしても伝えられています。
タバコ
タバコは江戸時代からこの地域で重要な換金作物として生産されていたようで、何度かの盛衰を繰り返しながらも明治・大正期には一大生産地となりました。戦後はさらに技術改良が進み、今日ではビニールハウスにより収穫を台風期の前に早めたり、品種改良された「松川葉」や「黄色種(大干)」などを栽培しています。
茶
この地域では昔から山野に茶の木が自生しており、藪茶・山茶として利用されてきました。遅くとも明治初期には茶園として管理生産が行われ(主に黒仁田地区)、明治31年には西臼杵郡の重要産物の生産第一位が製茶となっています。
現在、ヤブキタ種、タカチホ種、ヤマナミ種などを釜炒茶用として栽培しています。特に「高千穂釜入り茶、五ヶ瀬みどり」ブランドに力を入れています。
大字押方のレストラン「神楽宿」の敷地内には、「かっぽ茶発祥の地」の看板が立てられています。「かっぽ」と呼ばれる竹の容器にお茶を入れ、刈干切りなどの山での作業の休憩時間に飲んだといわれ、さらにこれが後の「かっぽ酒」にとなります。
高冷地野菜
五ヶ所高原などで標高差を利用したパセリなどの栽培が行われています。
果樹
クリ 「高千穂・日之影クリ」として村おこしに力を入れています。
ネクタリン 桃の一種で上野地区で栽培されています。
キンカン 完熟キンカン「たまたま」のブランド名で出荷されています。
花卉
高千穂町で花卉栽培が行われるようになったのは昭和40年ごろからの事です。高地の気候を活かした農業として夏菊栽培がひろまり、現在は「高千穂菊」のブランドで知られます。またその他の切り花(スイトピーなど)の栽培も含め南九州一の花卉生産を誇るに到っています。
麻
麻はかつて高千穂を代表する経済作物として盛んに栽培されていました。戦前は100町歩をはるかに超えていたようで、三田井地区北部の浅ヶ部集落は「麻」の産地で、「麻ヶ部」とも呼ばれていたということです。高千穂の麻栽培の歴史は相当に古く、高千穂神社の本殿の裏側にある彫刻にも「麻こぎ小屋を覗いている図」があります。
しかし、麻は葉が麻薬の一種「大麻」であるため、戦後はその栽培も許可制になり、昭和28年(1953)には栽培が禁止されました。麻緒は神事に使われるため、昭和35年頃まで一部の地域でこっそり栽培されていたようですが、現在では全く行われていません。(詳しい資料へ)
養蚕
養蚕が高千穂に入ってきたのは明治の中頃のようで、下野と河内から普及したようです。昭和初期にはその全盛期を迎えますが、戦時中は一時衰退。戦後は再び増産が進んだものの、化学繊維産業の隆盛により現在は減少しています。五ヶ所地区に桑畑があります。
河内 奥鶴 蚕業記念碑(大正13年)
林業
明治初期、藩政からの移行に伴い、宮崎県北の山林は不便な奥山を除いてその多くが民有になりました。その後たびたび杉・桧の造林が奨励されますが、造林が本格化するのは戦後のことです。戦後復興から高度成長期にかけて薪炭材、建築材の需要で隆盛を誇りましたが、その後は需要の減少で衰退の道を歩み、それを象徴するかのように、高千穂営林署(後の森林管理所高千穂事務所)も平成13年(2001)に閉所となりました。国有林政策も現在は生産重視の人工造林拡大主義から、広葉樹林を見直す環境・国土保全重視の方向へ向いつつあります。
竹
モウソウチクを始め、多種の竹笹類が自生しています。古来、この地方では竹は家屋や日常生活道具の素材として利用されてきました。荷物をいれて背負う「カルイ」というこの地方独特の道具も竹で作られています。日用品としての竹製品の需要は少なくなってしまいましたが、「高千穂夜神楽」をはじめとする伝統行事の飾り付けや小道具の素材として、竹笹類は今も欠かせません。
椎茸
明治期の椎茸栽培は原木に鉈で傷を付け、自然胞子による発育を待つ簡単なもので、生産も少なかったようです。人工の種駒による栽培が普及したのは戦後のことのようで、今日では観光土産品・贈答品などとしても大変喜ばれています。
高千穂牛
高千穂では古くから牛が飼育されていたようですが、明治になり次第に各種輸入種が主に乳牛として導入されていき、生産が伸びていきます。そして「高千穂牛」は「松坂牛」「神戸牛」などの種牛としても利用されるなどその品質の良さは日本を代表するものとなりました。平成19年の品評会で宮崎県が日本一になり、高千穂から出場した牛も総理大臣賞を獲得しています。
地鶏
農家で自給自足的に飼育されています。焼き鳥以外にも、「うどん」のだしとしても使われます。祭りの際の家庭料理「煮しめ」にはなくてはならない食材の一つです。
馬
戦前は軍用馬などとして各地に運動場が作られ生産が盛んでしたが、戦後は減少しました。
焼酎
九州中南部で地酒といえば、焼酎です。高千穂町内でも各地区のメーカーでそば、麦、トウキビ、米、イモなどの多様な原料から「天照」「くろうま」「天孫降臨」「東国原」(以上、岩戸)、「刈干」(押方)、「暁」(河内)などの銘柄が生産されています。地元での消費量も多く、事あるごとに焼酎を酌み交わしながらの「のみかた」(酒宴)が始まります。また、夜神楽に参列する際などに、奉納品あるいは手土産として焼酎(一升瓶2〜3本)を持参する様子もしばしば見られ、この場合「相手方の地区の銘柄」が好まれるようです。独特の飲み方として、青竹に清酒か焼酎を入れ、たき火で燗をつける「かっぽ酒」は、その風情だけでなく、しみ出した竹の風味で人気があります(上記「茶」の項目参照)。これは特に夜神楽の振舞い酒として定着しており、ここでも清酒より焼酎が好まれます。(夜神楽については「祭りと伝統芸能」のページ参照)
ハチノコ
地元でアカバチ、クマバチと呼ばれるスズメバチ類の幼虫の事です。 月ごろ、全身完全防備の男達はあらかじめ見つけて置いたハチの巣から、幼虫、サナギ、羽化前の成虫など取り出します。ナスなどの野菜と一緒に炒めたり、唐揚げにして食べる事が多いようで、精力増進に効くと言われます。一部が市場に出回りますが、多くは採集した人々によって自家消費されます。かつては冬場の貴重なタンパク源でした。町内の居酒屋でも出してくれる所もあるようです。
松浦誠著「スズメバチを食べる」北海道大学図書刊行会、2002年に日本全国のスズメバチ食の歴史が紹介されています。
↑町内の店で1KG約6000円強の値段で取引されている。
猪鹿
毎年11月中旬〜2月中旬は山野での狩猟が認められていて、高千穂町ではシカ(オスのみ)、イノシシ猟が盛んです。これらはシカ肉・シシ肉として料理店などに出荷されたり、あるいは日常生活や地域の祭りなどの席で消費されています。
カワノリ
秋元川で夏の風物詩としてカワノリ採りが行われています。ほとんど自給自足用で、お土産として生産するまでは至っていません。
アマゴ(エノハ)
サケ科の渓流魚で、遠方からやってくる釣ファンもいます。また、養魚場で養殖されたものが、郷土料理食材として出荷されています。
アユ
五ヶ瀬川下流では、やな漁が知られています。養魚場により養殖が行われ、郷土料理食材として出荷されています。
高千穂焼
大字岩戸五ヶ村の佐藤修さんが開かれた窯で、有田からの粘土と高千穂の粘土を混ぜて作った独特の焼き物です。
神楽面・木工芸
大字岩戸五ヶ村の工藤正任さん・浩章さん親子が「天岩戸木彫」として製作されています。この他、いずれも小規模ながら、各種の木工芸品が生産されています。
鉱業
祖母傾山系は、各種鉱物資源にも富み、古くから鉱物が産出されました。試掘のみなどで短命に終った鉱山も多くありますが、長く産出し続けたところもあります。
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