(資料)土呂久鉱害
土呂久鉱害訴訟
多くの被害者のうち23名が、鉱業権を最後に持っていた住友金属鉱山を相手取り1人3000万円の補償金を請求する訴訟を、昭和50年(1975)に宮崎地裁延岡支部におこしました。そして8年にわたる長い裁判の結果、一人の軽症者を除く22名にそれぞれ400〜3000万円の支払いを命じる判決が出ましたが、この間に原告のうち13名が死亡するという裁判史上も例の無いものでした。しかしその勝訴判決の喜びも束の間、住友鉱は鉱業権を持っていただけで操業していないから支払いの義務は無いと控訴し、昭和63年(1988)9月にふたたび被害者が勝訴しましたが、住友鉱は更に最高裁に上告しました。また第2陣の19名も昭和59年(1984)に裁判をおこし平成2年(1990)3月3度目の勝訴判決が出ましたが、こちらも住友鉱が控訴しました。
平成2年(1990)10月最高裁で和解が成立しました。内容は、「(1)住友金属鉱山の責任は明記しない。(2)住友鉱は、総額4億6千万円余の見舞金を支払う。(3)今後とも、被害者の病気治療等については公害健康被害補償法で救済する。」といったものでした。
土呂久鉱山略年表
鉱山師の時代 | 1920年 | 亜砒焼き始まる | |
1925年 | 牛がばたばた死亡 | ||
喜右衛門一家相次ぎ死亡 | |||
岩戸鉱山時代 | 1933年 | 中島飛行機が経営にのりだす | |
1941年 | 休山 | ||
中島鉱山時代 | 1955年 | 亜砒焼き再開 | |
1962年 | 閉山 | ||
閉山後 | 1971年 | 教師の告発 | |
1973年 | 国が公害病に指定 | ||
1975年 | 一次訴訟 | ||
1984年 | 原告勝訴・被告控訴 | 二次訴訟 | |
控訴審原告勝訴 | |||
1988年 | |||
1990年 | 和解 | 3月原告勝訴・被告控訴・10月和解 |
【参考文献】
土呂久を記録する会「記録・土呂久」本多企画、1993年
獣医師の記録
以下の資料は三田井の獣医・池田牧然氏の文章です(高千穂町歴史民俗資料館所蔵の岩戸文書より)。鉱害の被害について池田氏の見聞したことや考えなどが、詳しく書かれています。なお、土呂久を記録する会編「記録・土呂久」(本多企画、1993年)の32〜35頁に「獣医が残した報告記」として一部が紹介されています。
「大正十四年四月十二日、岩戸村土呂久放牧場及亜ヒ酸鉱山を見て」三田井 池田牧然
土呂久放牧場
岩戸村大字岩戸字土呂久標高一六四四米古祖母山ノ中腹ニ有リ。東北ハ大字山裏ニ西ハ上野村ニ境シ、西南ハ大字岩戸一帯ニ面スル高台ニアル。
旧藩時代岩戸庄ノ牛馬ヲ混牧シタガ、明治初年頃カラ牛ノ放牧ニ改メ壮幼牛ヲ毎年百余頭宛放牧シタルモノデアル。然ルニ明治中年頃土呂久部落有放牧場トシテ其ノ面積約二百町歩ノ主要ナル区域ニ土柵ヲ森林界ニ木柵ヲ巡ラシ、マスマス完備シタ放牧場トナシ、七折高千穂上野方面ノ畜牛ヲモ収容スル事ニシタガ、其成績ガ誠ニ良好デ五月初旬ニ入場セシメテ十月下旬ニ退場セシムル時ハ殆ンド入場当時ノ影ヲ止メヌ位良ク成長肥満シテ、一般畜主ノ満足ヲ得タモノデアルガ、同地方ハ一般ニ鉱山地帯デ、偶々鉱山師トナリ、一攫千金ヲ夢見ルモノガアルヤラデ、一時鉱山熱ノ為ニ畜産熱ヲ冷却セシメ家畜ノ数ヲ次第ニ滅シ、大正二〜三年頃ラカ放牧休止ノ止ムヲ得ナイ事ニ立チ至ッタノデ、現在モ休場シテ居ル其レヲ今回二、三、有志者ノ希望デ再ビ開設シ様ト目下計画中ノモノデアル。何レ本年カラ再興ノ運ビニナロウト思フ。
土呂久ハ四五年前迄ハ農家ノミデアッタガ、今ハ鉱山業ガ三、四軒アル。兎に角、明治三十年頃カラ大正元年頃迄、西臼杵郡ノ土呂久馬(外禄馬)ト云ヘバ大シタ聲望ノ有ッタモノデ、実際ニ良馬ガ居タ。其レハ土呂久ノ先覚者ガ「アラブ雑種」ノ種牡馬桔梗野号ヲ郡ヨリ貰ヒ受ケ之デ一般馬匹ノ体型ヲ整理シ其レニ明治四十年頃「トロッター雑種」ノ種牡馬ヲ入レ幅員アル短肢小格ノ馬ヲ作ル事ニ努メタカラデアル。ソレデ県内外ノ商人ハ土呂久馬ハ強クテ後テ体格ガ出来テ使役一等ト評判シタモノデアル。然ルニ其ノ後馬匹改良方針ナド理屈ヲ云フ時代ニナッテ馬ノ体型ガ一変シタ。即チ理屈ガ当業者ヲ迷ハセタ譯デアル。偉大ナ体格ノ馬ト交換シタリ又薄平ナ馬ヲ買入ンダリシテ次第次第ニ土呂久馬ノ名聲モ何処ニ納マッタカ判ラヌ様ニナッタ。又其ノ原因ニ今一ツアル其レハ今迄ノ産馬家ガ明治四十二年頃カラ牛ニ乗リ代ヘタモノカ過半出来タカラデアル。土呂久ハ一帯ニ草ガ豊富デアルカラ、明治三十四〜五年頃ハ戸数三十三戸ニ対シ馬ガ八十五〜六頭、牛ガ六十二〜三頭モ居ッタノガ、今ハ戸数四十四戸ニ対シ馬ガ僅カニ三十二頭、牛ガ五十五頭ニ減ッタ乍而事実ニ於テ牛ハ減ッテ居ナイ寧口増加ニ努メテ居ル。
近来、亜ヒ酸鉱山ガ開山シテ斃牛馬ガ多イ為メニ牛ハ他部落ニ転地セシメタリ。預托シテ居ルモノガ恐ラク一、二十頭アルト云フ事デアル。其レカラ見テ確カニ馬ハ牛ニ代ッテ居ル其ノ動機ハ、明治四十二〜三年頃全国的ニ流行シタブラウンスウヰス種牡牛ガ村有ニ来テカラ岩戸ノ牛ガ突飛ニ高ク売レタノデ誰モ彼モ管理ノ仕良イ牛ニ乗リ代ヘタルノデアルガ、馬ヲ壓倒スル位力ヲ入レタ結果、牛ハ現在中々立派ナノガ居ル。毎年ノ生産売牛ハ立派デ品評会デモ優勝シ競市ノ価格モ郡ノ一位ヲ占ムルモノガ多イ。候補種牝牛ヤ候補種牡牛ハ大概此部落生産ノモノカ、又ハ其系統ニ連ルモノガ多イト云ッテモ宜シイ位デアル。何様土呂久ハ畜産ノ歴史モ古イガ畜産地ト指ヲ屈シテモ辱カシカラザルモノデアル。
土呂久ノ蜜蜂及椎茸製造
地勢ノ関係等良ヲノデアロウ。在来種ノ蜜蜂ガ良ク巣ニ入ルノデ各戸蜜蜂養ッテ居ナイモノハ殆ンド居ナイ。多ク持ッテ居ルモノハ百箱以上モ持ッテ居テ、部落デ蜜ノ総生産高ハ実ニ大シタ者。其量ハ判然セヌガ一ヶ年ノ蜜代デ炒り子・鰹節・砂糖・油代ハ充分アッタト云ッテ居ル。
椎茸ハ同部落ノ主要物産デ、先ヅ椎茸ノ生産高デ納税其他農家ニ必要ノ経費ハ之デ支払ッテ居ルト云フテモ良イ位ダト云ッテ居ル。
其ンナ譯デ牛馬ノ売上代トカ農産品ノ売上金ハ貯ヘトナッタラシイ。其レデ同部落ハ一般ニ暮シ向ガ良イ。同部落ノ一般状態ハ以上述ベタ通リデアル。
即、二〜三年前ヨリ或原因ノ為メニ農作物ノ不作特ニ今迄デ特産デアル豆類ノ全クノ不作、植林ノ枯死、椎茸ノ無発生、蜜蜂ノ全滅、同一類似症状ノ牛馬ノ斃死、野生鳥類ノ死亡等デアル。其レニハ種々ノ原因ガアリマショウガ、茲ニ見聞シ事ヲ書キマシテ、諸賢ノ御教示ヲ受ケ度イト思ヒマス。
亜砒酸鉱ヲ見テ
吾輩ノ見タ同鉱ハ小字惣見ノ下部落土呂久ノ中央部ヲ貫流スル川側ニアル。同山ハ大正九年六月ノ開山デ鉱業所ハ奥行三間位デ長サ十五〜六間モアロウ。其間ニ簡単ノ石垣デ造ッタ二間四方位ノ砒石ヲ焼ク釜ガ五ツ六ツニ精錬釜ガ五ツ六ツアル。其ノ釜ノ中央部ニ一尺四方位デ高サ三間位ノ煙突ガ二本見ユル。茲ニ初メテ行ッタ吾々ノ鼻ニハ一種云ヒ得タ峻烈ナル臭気ガ鼻腔ヲ突キ目ヤ咽喉ヲ極端ニ刺激シタ。此処ニ働ク工夫工女連中ハ覆面シテ口ニハマスクヲ掛ケテ居ル。二〜三ノ釜ニハ拳大ニ丸メタ砒石ノ鉱石ガ入レテ薪ニ炎ヲ付ケテ亜砒酸ヲ製造シテ居タ。二ツノ釜ハ今火ヲ消シテ亜砒酸ヲ採取シテ居タ。此ノ亜砒酸ノ鉱石ハ地下ヨリ掘リ取ルノデアルガ、亜砒酸鉱石ノ焼クル煙ノ中ニ含マッテ其レガ釜内デ凝結シテ採レルト云フ事ダガ、實ニ多量ニ含有シテ居ルモノラシイ。斯ンナ設備ト彼ンナ方法デ採リタルモノヲ大阪辺デ精製サルレバ貴重ナル薬品トカ染料又ハ印刷用肉ノ原料ニナルカト実ニ結構ナ事業デアル。
乍而吾々ハ此亜砒酸ハ毒薬デアル事ヲ承知シテ居ルガ、其ノ焼殻ヲ水清キ土呂久川ニ遠慮モナク投ゲ込ムノヲ見テ不思議ニ思フタ。是等ノモノニ対シテハ河川港湾取締規則ハ摘要セザルモノナルヤト思ヒマシタ。
亜砒酸鉱付近ニテ見聞シタ事ニ就テ
岩戸村土呂久ト云ヘバ、其ノ差口ガ天岩戸神社ヲ去ル一里半。其レカラ奥半里モ人家ガ点在シテ居ル土呂久川ノ両側ニ沿フ程ニ大部落デアル土呂久ヲ別ッテ折原、畑中、惣見ノ三部落ト為ス。差口ガ折原、畑中デ、此両部落ト惣見部落ハ小山ヲ以ッテ境シテ居ル。山ノ北面ニ行クト直感的ニ火事跡ノ様ナ一種悲惨ノ感ニ打タルル其レハ二〜三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味、又竹林ハ殆ド枯死シ、雑木モ立枯シテ、如何ニモ寂莫ノ感ガアル。耕地ノ荒廃シタモノ有ッテ作ノ付ケ様モナイ云フ様ナ有様ニ見ヘル。数年前富誇ッタ部落ガ今ハ何トナク油気ノナイ部落ト化シタ様ナ感ガスル。山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ。今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲ見レバ茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜜蜂モ今ハ穴巣ヲ止ムルノミ。村人ハ椎茸ハ二〜三年一芽モ出ナイ蜜蜂モ三年前カラ漸次死滅シテ終ッタ。偶々花ニ狂フ蜂ヲ見テ居ルト花ヲ吹イツツ死スルモノガ多イ。又小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事デ何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑中ヨリ捨ツテ見セル事ガ出来ルト云フテ居ル。
鉱山ニ出稼ギスル家ヲ訪フテ見ルト妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル。久シク出稼ギデ居タル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫糜爛。眼モ異様ニ充血シテ居ル果シテ人ノ嫌フ天刑病カ予ハ決シテ其レト信ズルモニニ非ズ。犬ニハ異常ヲ認メザルモ、猫ニハ確ニ栄養不良デアル。其原因果シテ何物ナルカ。其付近ノ牛ガ病気ト云フ話デアルカラ其ノ牛ヲ診断シテ見ルニ栄養不良、元気無ク歩行満跚皮毛光沢ヲ失シ、食欲不振、体温ハ平温。脈拍ハ弱イガ、呼吸器等異常ヲ認メズ。胃腸ノ蠕動ガ微弱デアル。時々流延泡ヲ吹キ、全身戦慄スル事ガアル。診断シタノハ僅カニ二頭デアルガ、共ニ同一症状デ病名ヲ付ケ兼ネル。昨年ノ秋村長ノ依頼デ土呂久部落ノ病牛馬診断ヲ行ッタ高千穂警察署ノ衛生技手郡畜産組合技術員ノ話ヲ聞イテモ罹病牛馬十頭デ其症状全部同一デ全身点々脱毛シテ居タガ、矢張リ病名ヲ付ケ得ナイト云ッテ居ル。
茲両三年間ニ同症状ノ牛馬ガ十六頭、昨秋転地セシメタモノガ十頭、斃死シタノガ去ル七日郡畜産組合技手ガ警察官立会ノ下ニ死体剖検ニ因ッテ鑑定材料ヲ岩戸村長カラ宮崎県警察部ヘ差出シテ置イタ。彼ノ斃牛ヲ加ヘテ六頭デアッテ、現在罹病シテ居ル牛馬ガ四頭転地療養中ノ牛ガ二頭居ルト云フ事デアル。転地セシムレバ先ヅ栄養元気。共ニ、二〜三ヶ月デ快復スルト云フ事デアル。
茲ニ好一例ヲ記セバ、亜砒酸鉱付近ノ一牝牛ヲ同所ヨリ約一里位ノ立宿部落ニ昨秋転地療養セシメタルニ、二〜三ヶ月ニシテ快復シタカラ厩肥生産ノ関係カラ、本春引帰リタルニ如何シテモ採食ヲセヌノデ畜主ハ大変心配シテ獣医ノ診断治療ヲ受ケタレド一向ニ効果ガナイ。其遂ニ同家ヲ去ル約十四〜五町位下部落(未ダ被害無キ部落)カラ牛ノ飼料ヲ持ッテ茅駄セニ来タモノガアル。其飼料ヲ引帰ッタ牛ニ与フレバ元気良ク採食シタ。一方ニ於イテ同家デ作ッタ飼料ヲ他ヨリ来タ牛ニ与フレバ之ハ決シテ食セナカッタノデアル。此一例ニ就テモ予ハ質疑ヲ生ゼサルヲ得ナイノデアリマス。
其他変ッタ事モアルガ以上ノ状況ニヨリ観察スルニ亜砒酸鉱開山ノ為メ其ノ付近農家ニ被害ガナイト云ハレマイト思フ寧口有リト判断シテ誤ラザルモノト存ジマス。
兎ニ角、亜砒酸製造ニヨリ生ズル処ノ煙ハ重イニ違イ無イ。又製造サレタ亜砒酸モ重イニ違ヒナイ。農作物林産物ノ不作枯死ガ川ニ沿フテ甚ダシク処ヲ観テ明ラカデアル。乍而亜砒酸及其煙ガ重ヒカラ鉱山ヨリ上ニ被害ヲ及バサナイトハ言ハレマイ。其レハ鉱山ヨリ数十尺高イ処ノ竹林ヤ山林内ニ影響ヲ及ボシテイルノガ見ヘルカラデアル。被害ノ模様ガ恰モ煙ノ如ク鉱山ノ付近ガ濃厚デ遠ザカルニ従ヒ薄クナッテ居ル。
昨年或技術者ガ同地デ亜砒酸ハ人畜ニハ被害ヲ及ボスモノデナイト云ッタ事ヤ亜砒酸ハ風ニ吹カレテ散布スルモノデナイカラ、亜砒酸ノ直接被害ハナイト云ハレタ事ヲ閃聞シタ。果シテ事実デアルカ若シモ地位アリ常識アル人ガ其ンナ事ヲ云ハレタトスレバ意外ニ驚カザルヲ得ンノデアリマス。又或新聞ハ先日同部落民ガ被害ニ対スル救済ヲ叫ブハ裏面ニ煽動者アルニ非ラザルカトカ、又去ル九日頃岩戸村長ガ警察部ヘ持ッテ行ッタ斃牛鑑定材料ニハ故意ニ亜砒酸含有物ヲ入レテ有ッタ而モ警察立会ノ下ニ死体ヲ剖検シ、又材料ヲ瓶詰ニシタノデヨモヤ其ンナ事ハ有リ得ベキモノデナカロウト思フ。如之新聞ノ材料ガ何処カラ出タノカ寧口疑ヒヲ押マザルヲ得ナイト思ハレマス。
我々ハ如其疑心ヲ押マズシテ農林畜凡テノ点ヲ実地ニ就キ調査ヲ行ヒ質疑ノ点ヲ発見見セバ充分ノ調査ヲ遂ゲ亜砒酸鉱ニ因リ確ニ被害アリト決定セバ、同鉱山ノ設備ヲ完全ナラシメ或ハ其筋ノ命ニ依リ改善セシメ被害ノ軽減セシムルカ他ニ農民ノ救済法ヲ講ジ農林振興上最善ノ策ヲ施シ純朴ナル部落民ノ愁眉ヲ開カシメン事ヲ望ムノミ。
尚ホ同地ニハ明治二十三年設立セル和合会ナル和会アリ。同会ト同亜砒酸鉱経営者ト鉱業上ニ関シ其契約書ハ十二ヶ条ニ亘ッテ居ルガ内容ニ至ッテハ資本家ガ純朴ナル農民ヲ如何ニ壓迫セルカヲ窺フニ足ルモノガアル。該契約書内容ノ公開ハ其ノ時期ナラザルヲ憂ヒ後日ニ譲ルゴトクシテ去ル。七日西臼杵郡畜産組合技手鈴木日恵君ノ病体解剖鑑定書ヲ記シテ諸賢ノ御指導ヲ仰ギ度ヒト思ヒマス。
土呂久鉱山大切抗
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