高千穂以外の神楽写真ギャラリー「竹原神楽」


西米良村 竹原天満神社神楽 平成24年12月23日〜24日 於:竹原協業センター

※竹原神楽は2年に1回奉納されます。前回の平成22年は選挙が入って一日ずれてクリスマスイブと重なったとのことでした。
今年は天皇誕生日と振替休日でした。舞人は村所神楽の方々ですが、面様の数に制限があるため、「大王様」「爺様」「婆様」「七ッ面」が省略の29番でした。

↓当日配布された「米良神楽」パンフレットの説明。
米良神楽は大和神楽の流れをくむものである。南北朝時代、肥後の菊池氏が九州における唯一の朝廷方の豪族として、勤王の旗印を上げていた時に、征西将軍の宮懐良親王は幼少にして大命を拝して肥後の地に御下りになった。時おり親王のお心を慰め申し上げる為に、当時、京の都や宮中において舞われていた舞を、随従の公卿・武将によって舞われた舞が、今日の米良神楽の舞の流れである。
後、肥後の菊池氏は菊池の本城落城の末、征西将軍の宮を奉じて米良山中に入山したと伝えられる。世は下り、文明3年(1471)懐良親王を祭る大王宮が建立さるるや、征西将軍宮が生前好きであった舞を神前に奉納した。これが米良神楽の始まりである。
米良神楽の組み立ては岩戸神楽になぞらえて、最後に岩戸開き3番を加えた。しかし全体の神楽の構成は米良神楽独特のものである。その一つは、前半は神神楽と称し、優雅・荘重なふんいきであること。後半は勇壮なものに重点がおかれ、民神楽と称して「神楽ばやし」の歌が参詣人によって歌うことができる。その二は、郷土の祖先の霊を祭る内容のもので組立てられている。その三は、神楽奉納者は一定の修業を経た社人と称する人によって舞われることである。その舞振りは、大陸文化の影響を受けて新しく生まれた日本芸術文化の粋で作られていることにある。したがって、舞振りは昔の唐舞い、朝鮮舞いで構成されているのが米良神楽の舞振りである。
神楽囃子
神楽囃子は夜食から許される。その主なものを挙ぐれば、
○米良の山すそ静かに暮れて宇佐の社に火がともる。
○あの子よい娘だ、わし見てわろた、あの娘育てた親見たい。
○鶏は鳴いてもまだ夜は夜中、心静かに舞わしゃればよ。
○こよい一夜は御ゆるしなされ、人のかかでもよめじょでも。
○村所ほりどんの腰ぶり見やれ、どこに出してもはじゃかかぬ。
○彼岸桜の若葉ももえて、米良の川風身にしみる。


↓当日配布された「竹原天満神社」パンフレットの説明
一、御祭神 菅原道真
一、例大祭 12月25日
一、場所 宮崎県児湯郡西米良村大字竹原(元米良)
天満神社と元米良の由緒
天満神社入山と元米良の由緒を知るため郷土史家の資料を基に更にわかり易く書き添えたものである。
今を去る約六百年前、征西将軍宮懐良親王は、菊池城落城と共に今川方の手に落ち悲運の涙をのまれた。御年56歳であった。
皇統の御子として乱世に生を受け、わずか8歳にして征西将軍の大使を帯び九州の地にて幾多の苦難を乗り越え、使命達成の念もむなしく九州の山深くはてられたとあり、親王の最後の地や葬られた場所は不明のまま歴史家達の研究論議を呼び起こす結果となっている。
私達の村、元米良は懐良親王と菊池一族が身を静めるため名を変え、あとをかくして米良山に入山したと語り伝う。菊池一族は親王の豪族として、終始一貫して変わることなく奉仕し、太宰府天満宮を戦の守り神とした。天満宮を背負い次の経路を経て、親王と菊池一族は米良山に入山したものと思われる。熊本県八代〜五木村(御通り峠)、水上村市房〜田出の川原(西米良村上米良山ノ口)、大王出(鶴瀬)〜相見米良殿岩屋(深瀬)を経て元米良に着す(時は天授年間の終わりか弘和年間の始め頃)。旧念の夜、人家の灯をたづね、老夫婦にて食せられし親王と一族は背負いし天満宮を現在の天神山の大木の基に今夜は一座はと安心した。やがて、大木の天高く御光がさし、裏山にては稲荷のさけび声高らかに、今この森に天満宮と稲荷の御下りがあったとし、元米良天神の森に天満宮と稲荷の二社を勧請した。親王と菊池一族はこの地こそ安住の地とされ、地名を元米良と称すと語り伝えあり。
米良神楽もこの地より伝承されたと言う。この伝統を立証づけるものとして大王という地名があること。明治10年前後に菊の御紋入りの金具を発掘。又、昭和2年1月24日に親王が所持されたと思われる星兜が竹原共同田開墾工事の折発掘されている。現在、この兜は東京国立博物館に保存されている。
元米良の地こそ懐良親王と菊池一族により太宰府天満宮米良入山の最初の地であり、菊池一族が六百年もの永き間、今日に至るまで米良郷土を愛し明治の初期にては、村人に平等に土地を分け与えたことなど民主主義の初めでもあると言えよう。この歴史ある郷土に住む私達は、とこしえに村人を守ります。天地の神として、又学問の神として永遠に天満神社を崇拝し、更に古里を知り祭り続けなければならないと思います。御参拝いただきまして誠にありがとうございます。右由緒の説明をもって御案内といたします。平成24年12月23日 記 竹原天満神社奉賛会(氏子一同)

No. 演目 人数 内容 JPG
準備 全員 竹原協業センターにて御幣や神屋つくり。舞手は、村所神楽保存会のメンバー。








注連立て 14:45。神事の後、3人がお膳に酒・米・塩・麻苧を持って祝詞奏上。竹原協業センターの神屋に注連が立てられる。


宮神楽 15:00神社へ供え物を持って行く。神社役員の人達が車2台で出かけられた。
神迎え 15:53竹原天満神社から御神体が運ばれる。

準備 神屋つくりが引き続き行われている。
座付き・夕食 18:30肝煎長・宮司・総代の挨拶があり、1礼1拍手で「いただきます。」で夕食。
修祓 19:30全員着座、神事。神楽奉納の始めに当たり、諸々の不浄を祓い清める儀で神楽奉納の最初の場面である。


献撰 19:40神前と神屋に供え物が運ばれる神事で、極めて荘重な音楽にのせて、厳粛に古式豊かに取り行う。平安の昔、宮中で行われていたそのままの形を保つ。今年は猪の頭6頭の奉納があった。神前と神屋に3頭づつ並べられました。


注連拝 19:49正面に天照大神・右に豊受大神を勧請して、その神前に声高らかにお祓いをとなえる。


清山 20:04舞手2人、神前の清めの舞である。その昔、宮中において公卿の間で舞われた舞。前段は優雅な舞で、後段は軽快な乱れの舞へと続く。
挟舞 20:24。舞手2人、米良神楽の基本舞である。神楽の前と後をはさむことから、挟みという名が用いられたもの。この舞い振りは米良神楽の基本であり、朝鮮舞・唐舞の舞振りが取り入れてあり、かつて奈良や平安の時代に大陸文化の影響を受けて、出来た日本の古い文化の流れをくむ。
地割 21:01〜22:25。舞手4人、刀を持って舞う。約1時間半もかかる。神の降臨を願う土地造りや土地の清めの舞である。前段は荘重な舞、中段は祈りの舞であり、後段は軽快で勇壮な舞で組み立てられている。舞は国造りを現わし、東・西・南・北・中央を割り清める。最後に宝渡しがある。










天任 22:32〜23:07。又は「天人」。別に「花の舞」ともいう。2人、弓立て烏帽子・扇・洗米膳と鈴を持って舞う。米良神楽を代表する宮中舞である。優雅で上品な舞、唐舞・朝鮮舞で組み立てられている。天子様に使える若人の舞。最後に散米。


幣差の舞 23:12。舞手2人、腰に幣を差して舞う。この舞は八幡様をおむかえする舞である。

八幡様の舞 23:45〜0:01。八幡宮は応神天皇、征西将軍宮懐良親王、米良重為、米良重鑑公を祭るが、神楽にお降りになる方は米良重鑑公をさして八幡様と申し上げている。出陣の姿で舞を納めるのは歴代の宮司がこれを受け持つ。家内安全・武運長久を祈願している。銀鏡神楽や尾八重神楽と同様に、見物客のお賽銭バスケットボールのフリースロー状態となる。
10 幣差の舞 23:41〜23:46。幣差の舞。納め舞。
11 住吉の舞 23:52。宇佐八幡宮(村所八幡神社)の御祭神をむかえる神前の舞をいう。4人舞。扇・舞幣・鈴を持って舞う。米良神楽中で最も優雅で品格の高い舞である。また米良神楽を代表する神楽でもある。荘重で唐舞・朝鮮舞の極致が舞い込まれて見飽きしない舞である。



12 天神様の舞 0:51〜1:05。竹原天満神社の御祭神・菅原道真公の神面。銀鏡神楽や尾八重神楽と同様に、見物客のお賽銭バスケットボールのフリースロー状態となる。

住吉の舞 1:05〜1:07。
13 高塚稲荷様の舞 1:07〜1:20。高塚稲荷様の面様が舞幣(大神幣)・扇を持って舞う。
住吉の舞 1:21〜1:29。住吉の納め舞。

注連拝 全員 1:33〜1:41。全員着座、但し次の神楽奉仕者は早めに夜食を入れる。
饌具撒き 1:42〜1:43。餅撒き。ビニール袋に入っているので衛生的だが、頭に当たると痛いので注意。
社人夜食 1:43〜1:58。社人夜食の間は、素人飛び入りタイムとなる。よぱらったおじさんに混じって、2〜3才の天才神楽少年2人が場を盛り上げていた。これ以降も酔っぱらった人が乱入してもよほど神楽の進行を妨害しない限りはそのままあたたかい目で放置されていたのが、高千穂神楽では考えられない現象だった。また、観客からも「○○ちゃんがんばれ」などの声援が飛んだり、賑やかであった。前半は神聖な神神楽で後半は民衆が楽しい民神楽だと割り切ってあるかのような差にびっくりした。また、天(あま)=白海・白蓋が2つあり、1つは神屋用で蜂の巣付き、もう一つは観客席用で蜂の巣は付かないが、お客さんが舞うための天(あま)があるとはビックリした。
14 神水 1:58〜2:42。4人。民神楽の一番を受け持つのが神水の舞である。勇壮な舞で、前段・後段とも太刀を持ったリズミカルな舞振りで構成される。



15 一人剣 2:43〜3:08。脇差。1人が扇・鈴を持つ。若侍の勇ましい舞。軽快・敏凄・豪快な舞である。悪霊をはらい、神を守る舞で昔、宮中にて舞われたお能くずしの舞と伝う。



16 白海 3:12〜3:19。面をつける舞手1人。軽快なリズムにのって舞う。別名「注連ほめ面」とも言い、また「蜂の巣つくじり」とも言う。空間に舞を展開するような舞振りが終始続く。
17 弓将軍
3:20〜3:51。舞手2人。豊岩戸(とよいわと)の尊・勘岩屋戸(くむいわやど)の尊の2神の舞。すさのおの命から天照大神の水田を守護する舞で、弓と矢を持って舞う。宮中舞の一つなり。
18 荒神の舞 1+1 3:51〜4:10。面をつけて舞う。1人。注連に用いた樹木を荒神の許しも得ずして切り出した為に荒神の怒りを受ける場面の舞である。古典能のくずしの舞振りである。問答は長文。
19 ていの舞 4:10〜4:16。荒神の怒りをとく神主の舞。長い問答でようやく荒神の怒りが解けて、神楽の続行が出来ることを喜び、感謝して舞を納める。1人。
20 伊勢の神楽 「天の岩戸におかくれになり、日本国中は暗やみとなり、八百万の神々が集まって協議の場面を表現したもの。」とパンフレットに書かれている。高千穂神楽の伊勢神楽に似るが、異なる所は、天照大神役の人は寒い中、20番〜24番まで扇で顔を隠してしゃがんでスタンバイしている事である。
20番「伊勢の神楽」と21番「大神様」は同時進行で行われている。
※岩戸の飛ぶ先は、「@美濃の国青木ヶ原A元の所」と言っていたようだ。諸塚神楽も「美濃の国」と言っており、「伊勢」と「信州戸隠」との中間なのか?意味がよくわからないが、昔から伝わっている点は大切だと思う。
21 大神様 天照大神が天岩戸に隠れられた舞。面・扇2本。岩戸開きまでずーっと座っている。
22 手力男命 岩戸さがしの舞。幣2・腰幣2・鈴。4:35〜4:45。

23 とかくしの舞 天のうずめの命の舞。「神楽の始まり」ともいう。女装舞。「とかくし面」「ひめじょ面」とも言われる。
高千穂神楽の鈿女にあたる。4:45〜5:00

24 手力男命 1+1 岩戸開きの舞い。幣2・腰幣2・鈴。5:00〜5:15。
※高千穂神楽では岩井川系統の尾狩神楽の「日の前」や黒仁田神楽の「舞開」などの天照大神を引っ張り出す舞がある。
※カメラマン系の方々は岩戸開きが終わると帰られる方が多いようだった。



25 挟舞 5:18〜5:42。朝に夜と同じ舞を奉納。扇・鈴。
26 部屋の神 1+1 6:00〜6:28。1人。面舞。御幣・鈴・でご(しゃもじ・しゃくし・焦がれ飯・すりこぎを入れる)を持つ。この舞いでは、神屋に女性も入って良いとされ、神様と会話したり、こがれ飯をもらったりできる。この年は、素面に化粧をした「のりおさん」という人が、女装したメークで登場し、大爆笑をさそっていた。



27 注連倒し舞 6だが後半4 6:32〜7:00。6人。傘をつける。縄・御幣・鈴を持つ。途中で2人が抜け、火之神舞を同時進行で続けている。





28 火之神舞 6:54〜6:58。2人。舞芝・縄・鈴で火の神の前で。竹原協業センターの調理室で行われた。
29 成就神楽 7:00〜7:03。神屋での最後の神楽。2人。舞芝・縄・鈴を持つ。
くれおろし神事 神主、神楽の終了を神に報告、注連縄を切る。
神送り 車で神社へ御神体などが戻される。

※竹原天満神社神楽は、2年に1回新暦12月25日に近い連休に行われます。
※竹原協業センターの中であるため、全くの屋外よりは壁がある分、ましですが、ストーブがあるとは言え、台数は限られていますので、一晩中見るということは、寒さとの戦いです。防寒具を忘れずに。
※ビデオ撮影をされる場合は、各自バッテリーをご持参ください。(アンペア数が低いため、コンセントを使用されるとブレーカーが落ち、真っ暗となる可能性が高く、他の人へ迷惑がかかります。)
※女性部のバザー(うどん・そば・ラーメン・いなりずし・ぜんざい等)販売がありました。ただし、早めに行かないと途中で売り切れ閉店となりますのでご注意ください。
※クリスマス寒波のため、夜は小雪が舞っていました。朝は積もってはいませんでしたが、凍結していました。


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