西米良村 越野尾神楽 平成24年12月1日〜2日 於:兒原稲荷神社
神楽の由来
神楽は鵜戸神宮の流れを汲むといわれる。鵜戸権現の別当をしていた濱砂淡路守重賢が、帰省して編み出したともいわれる。(芥川仁「銀鏡の宇宙」1995年のP121では、天和元年(1661)とある。)
鵜戸門流神楽は、銀鏡では「門外不出」として厳禁されていたが、八重(東米良)の祓立の住人弥吉が、禁を破って八重に伝えた。
八重の人々が修得して、銀鏡神社の祭礼に奉納したところ「大変良くできた」といって「ヤカン飯」(チョカン飯ともいい村八分のこと)くわされたという。
昭和の始頃、二軒橋で鍛冶屋を営んでいた濱砂徳次郎は、祭典の講習会に楽を入れることを提案し、笛、太鼓の練習が始められ楽を修得すると、次は楽だけでは物足らず、神楽まで習うようになった。
昭和六年八重に師事して習うことになった。師匠は、省吾、角蔵、中平、熊夫、久吉、彦馬、彦造であった。練習日には、二・三人交替で、午後五時頃八重をたち山之戸越えで、越野尾公会堂(公民館)に着き、夜中の零時頃迄もけいこが続き、寒空の中に笛太鼓の音が響いた。
師匠の手当は、金五〇銭と、ハゼ・ローソク一本又は二本で、賃金としては当時の日当より高額で羨ましく思う人もいたという。
いろいろな苦労があって神楽の伝授がなされたが、だんだんと続くうちに、公会堂周辺の人々から苦情が出はじめたので、学校上の一軒家濱砂寅雄宅を借りたり、昭和十三年頃からは、向いの河野キヌエ宅に移った。
昭和十七年頃第二次世界大戦も激化すると、舞手(祝子組)も一人二人と戦地に駆り出され、舞手の減少でやもなく中止を得なくなるが、戦後復活の気運も高まっていたが、稽古宿その他の問題もあって、暫くは完全に途絶えてしまった。その間、例祭には八重の祝子を傭い夜神楽を行うことができた。
昭和三十年中頃から九州電力はダム工事に着手、ダム完成後村づくりも整い、兒原稲荷神社参道も整備され、神社まで車で上れるようになってから参詣者も日々増してきた。
昭和四十一年氏子による神楽保存会が発足し、経験者を中心として若い人達も多く参加して新しく再出発がなされるようになった。其の後も八重の師匠を傭い指導を再々受けることがありこうして漸く一人歩きができるようになった。
毎年十月八日に神道始め(神楽始め祭)を行い、手割(役割)が発表され、受持が決定するが、以前は十月三日が神道始めで三日めおきに稽古を行い、手割は祭典当日になって発表されていたので常々稽古をなまけると多勢の見物者の前で恥をかくことになり、稽古の定めは、厳しいものがあった。
このように神楽の伝承がなされる以前は、銀鏡、小川、村所から祝子を雇う事もあったと言われている。
米良の祭と夜神楽は別々には語れない。その年の五穀豊穣をよろこび神に感謝し、一年に一度の神と人との和合と、語らいのなされる日であり、神の御恵みを身近に感じ、来る歳の富と幸を祈念し奉る日である。遠い遠い昔から、米良に住む杣人の民が培い護りうけついで来た、豊かなロマンでもある。(兒原稲荷神社「西米良神楽第3集」より)
No. | 演目 | 人数 | 内容 | JPG |
準備 | 全員 | 兒原稲荷神社にて御幣や神屋つくり。舞手は、越野尾神楽保存会のメンバー。 NPO法人「みんなのくらしのターミナル」さん等がボランティア「中山間盛上げ隊」で応援されていた。県内あちこちの神楽などのお手伝いをボランティアでされているとのこと。メールで案内が届き、あちこちの神楽を後方支援するとのこと。少子高齢化過疎化の中山間部にとっては、良い取り組みだと思った。 保存会の記録では、あまの御幣が「東が青、南が赤、西が黄、北が黒」となっていた。「西が白で中央が黄」が五行の世界標準だが地域色であろう。 |
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神迎え | 2 |
11:15。公民館の横にある「水神」のお面が兒原稲荷神社に運ばれる。「大國主命」と「栗三郎」は兒原稲荷神社に預けてあり、運び込む部分は省略された。 | ||
準備 | 11:34。「あま」に「はちのす」が取り付けられた。 ※気が付いた人はあまりいないと思うが、今年の「あま」の御幣の色が南北が逆転しているようだ。 |
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例大祭祭典 | 全員 | 17:00。兒原稲荷神社本殿で執行される。終了後、「大國主命」「栗三郎」「水神」等を御神屋神棚へ移動する。 | ||
直会 | 全員 | 女性部のうどん・そば・だご汁などのバザーの店が開店。参詣者は夕食。 | ||
1 | 清山 | 2 | 19:00。この神楽は外神屋を清め、神々の御降監座すことに感謝をし神聖な斎場の清浄を願い三十三番の神楽が清く正しく奉納できるように祈りを込めて舞われるのである。舞は、二人舞で装束は烏帽子を冠り狩衣を着し、右手に鈴、左手に御幣を持ち優雅に舞われる。 清山の歌 ○清山に清引く■(=しんにょう+神)はかねが■(=しんにょう+神)諸上の神おやおいてまします。 ○此の所四方栄えて朝日さす神のや社はここにこそ有る。 ○此の所よきとの所と地をほめて所をほめて神をまします。 ○伊勢の國山田が原の榊葉や心に紙垂を掛けぬ日もなし。 ○山鳩の泊りはどこよと尋ねればしの田の森の市の木の枝。 ○さぞもしろきはしかの花そや。 |
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2 | 花の舞 | 4 | 19:39。装束は烏帽子を冠り素襖を着し、背に小幣を十文字に差し、上の地は右手に鈴、左手に扇子を持って舞い、下の地は、右手に鈴、左手に膳に榊葉を盛り持って舞う。現在は四人舞であるが、古くは二人舞であった。又此の舞は結界とも云われ、小中学生、年少者によって舞われ結界と献饌を形どった神楽である。 花の舞の歌 ○ハイヨウー我が氏の降り給へやあやをはえ錦をはえてござとまします。 ○ハイヨウーやらうれしやらよろこびのかりやこのまちだて奉るよ神をまします。 ○ハイヨウー此の程は結びこめ置く願のひも今こそとくれ神の心。 |
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3 | 地割 | 4 | 20:01。四人舞で装束は白衣、白袴、右手に鈴、左手に羽笠、赤たすき、太刀を持って舞う。上の地終わりて、先地、後地中央に向かい合って座し、地割中歌を歌いながら赤だすきを掛け太刀を腰に差し羽笠を冠り、下の地の舞となる。左手に扇子を、右手に鈴をもって舞う。「みだれ」になると刀をぬき左手にもち右手に鈴をもって活発な動作で舞う。 この神楽は土地の地鎮めの神楽である。 地割の歌 ○なんどくなんどのその浜に駒の真似して遊びし給え。 ○さぞ面白きは、しかのはなそや。 ○冬の夜に目ざめて聞けばおしどりが、高瀬をなびくうづの高さよ。 ○冬柴やたく炭がまの煙こそ、明くれば春のかすみとはなる。 地割り中歌 ○つまもとはまだ調べや。 ○から事や磯うつ波は磯に有りしばし静まり波ぞどんじや。 ○笠を着るにはそれ着るという文字があるなり。それを見てこそ笠はきるぞや。 ○東山小松かきわけ出る月、西にもやるぞここは照らさる。 宝渡し ○此のたから受け取る君がたもとは八重かさね、八重のや折目に黄金花咲く。 ○此のたから置けば置きぼうしになればなる。西都の原に置いて納めん。 |
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4 | 初三舞(上の地) | 4 | 21:08。四人舞で装束は白衣白袴に素襖を着、羽笠を冠り腰に小幣二本そろえて差し、右手に鈴、左手に扇子を持って舞う。上の地はゆるやかに舞い、下の地は調子やや早く舞う。 此の神楽は、神楽全体の基本と言われ、この神楽をしっかりと習得することが、他の神楽の上達につながると言われている。 此の神楽は降神行事を意味する神楽であり式三番の最初に舞われるので初三舞と言う。又この舞は次の栗三郎様の地舞でもある。 初三舞引き唄 ○神楽今月の良き日をえりて、をさうなるやさをの神を置いてまします。 |
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5 | 栗三郎 | 1 | 21:25。神面を付け頭に毛がしら、腰に刀と背に榊葉を差し、右手に面棒、左手に榊小枝と着物の袖を握り静かに舞う。右足から三歩舞い上り、そのままの姿勢で三歩軽く飛びひざる。※ひざる=下がるの意味。(この舞の特長で「烏とび」と言う。) 四方舞終りて、正面に面棒を立て、左手の榊小枝を後方に捨てる。面棒を左手に持ち替え、扇子を開いて右手に持ち、扇子と面棒を交互に使って舞う。四方舞終りて舞いながら神楽歌、次に四方舞終りて、地舞舞手と向き合って舞われる。この情景は、神と人との舞い遊びという感あり。 栗三郎様とは、出合内中武家の氏神様で小春(兒原)の山に御神霊のお降りの折道案内された道祖神と言われ、神楽の中でも最初に出座される神である。 神の舞の歌 ○何事も始まる時は神さめて、神のやあそびに時日はきらわん。 ○此の程は結びこめあと、願いのひも今こそとくれ、神の心。 |
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初三舞(下の地) | 4 | 21:39。 | ||
6 | 住吉(上の地) | 4 | 21:45。四人舞で装束はツマドリを頭に素襖を着、腰に小幣二本を交差して差す。右手に鈴、左手に扇子を持って舞う。舞方は幣差に良く似ているが、「みだれ」は全く違う舞方である。全体を通じて活発な舞である。次の白稲荷様がお出になる白稲荷の地舞でもある。 住吉引歌 ○神楽住吉の四柱の前なる、そうり橋はたれが架けたか中空にある。 ○振り立つる振りたつる、いすずの音に、神さびて人の為こそ人の為なり。 |
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7 | 白稲荷 | 1 | この神楽は兒原稲荷御祭神の舞である。宮司が白神面を付け頭に宝冠を冠り白衣赤袴、千早を着て、腰に太刀を帯び、背に白紙垂れ付き榊葉を差し、面棒と扇子を持ち、式五番栗三郎の「烏とび」を除けば同じ舞である。御祭神の女神であり、此の舞の間参拝者は賽銭を奉じ敬虔な祈りをささげる。 稲荷神の舞歌 ○雨の降る高天原を通り来て、清しが春に会うぞうれしき。 ○御神屋に参りて拝めば神下る、如何に氏人とうとかるらん。 |
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住吉(下の地) | 4 | 22:25。 | ||
8 | 幣差(上の地) | 2 | 22:40。二人舞で装束、上の地の舞は式六番住吉と同じである。全体として活発な舞になるが特に下の地になると動きが激しくなり、着ていた素襖を脱ぎ両手に取り打ち振り舞う。続いて「みだれ」になると尚も活発に軽快なリズムに乗って舞われる神楽である。 この神楽は神屋の四方に幣を差して舞うので、幣指とも言う。又次の御祭神赤稲荷の地舞でもある。 幣差引歌 ○神楽ふもとにきこえやすらむ千早ふる、あじちが浜にうつぞ白波。 |
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9 | 赤稲荷 | 1 | 23:00。神職の舞であり男神赤面を付け、装束は赤衣赤袴で外は白稲荷と舞、歌共に同じである。 此の神楽が終了すると神楽ばやしが許可される。 |
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幣差(下の地) | 2 | 23:14。 | ||
10 | 神和(山の神) | 1 | 23:25。お太鼓帯を締めた女性の装いで面を付けて烏帽子を冠り「かみ」「たか」の幣二本と扇を持って静かにゆるやかに舞う巫女の舞である。 | |
■(=しんにょう+神)拝み | 3+1 | ■(=しんにょう+神)奉納者、又は厄年の人等神屋にてお祓いを受ける。せんぐ撒きがある。越野尾のせんぐはビニール袋入りの衛生的なせんぐだった。せんぐ撒き以後、観客の人数が激減した。これ以降、カメラマンも激減する。寒さが一層厳しくなり、バッテリーも消耗が著しい。最も、その理由の一つは外神屋の照明がわずかな裸電球だからであるが、明々していても雰囲気は損なわれるのでこのままであって欲しい。 この間、神楽組は夜食の時間が取られる。 |
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とびいり | 神楽が止まっている間、酔っぱらった観客がとびいりで舞っていた。地元の男性らしく彼を止める人はいなかった。神楽ばやしだけでなく、乱入もありなのか。 | |||
11 | 水神地舞 | 2 | 0:25。舞手二人、右手に鈴、左手に扇子、赤の袈裟襷を掛ける。式四番初三舞と同じ舞である。下の地で水神様が出られる。 | |
12 | 水神男神 | 1 | 0:45。越野尾水神社祭神の面を付け、頭に白の毛頭、他の装束、持物は、稲荷の舞共に同じである。 | |
とびいり | 水神女神の支度の時間がかかっていたので、再度、とびいりタイムである。祝子さんも扇子を渡し、太鼓を叩いておられたので保存会公認のとびいりとなった。 | |||
13 | 水神女神 | 1 | 1:00。水神男神とは面が異なるが、他は同じである。 | |
14 | 大國主地舞 | 2 | 1:12。式十一番水神地舞と装束、持物、舞、共に同じである。下の地になると大國主の神が出られる。 | |
15 | 大國主命 | 1 | 1:36。頭に黒の毛頭、大國主の面を付け、持物、舞は稲荷の舞と同じである。大國主は下越野尾甲斐家の氏神で「福徳の神」と称えられている。 | |
大國主地舞 | 2 | 1:43。 | ||
16 | 神崇 | 4 | 1:44。四人舞で右手に鈴、左手に太刀、頭に「ツマドリ」を付け、袈裟襷を掛け、大きく飛び舞う勇壮な神楽である。神屋の中央と東西南北の五方を清め、五方を守護する五方神に御守護を祈念するところの舞である。 神崇舞唄 ○剣取るをのこはここに生ぜはや、所のために剣取らせる。 ○振りたつるいすずの音に神さびて、神のあそびに時日はきらわぬ。 ○剣取るもうはの山に我行けば、かえるが浪もへんじとはうつ。 ○日の本の國の始めを尋ぬれば、ほこのいづくのあしわらの里。 ○弓も矢も國も所も納まりて、なお静かなる此の所よし。 |
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17 | 荘厳(弓将軍) | 2 | 2:30。柴荒神の地舞でもある。二人舞で右手に鈴、背に二本の矢を交差して差し頭に「ツマドリ」、赤襷を掛け、足に黒脚絆白足袋にて舞う。下の地になると背の矢を取り弓に番えて引きしぼり、又二本の矢を両手にして飛び跳ね舞う。軽快であり、勇壮で見ごたえのある神楽である。 この神楽は、天照大御神の座す宮殿の御門を守護する、二神が天照大御神の神田を荒らそうとされる須佐之男命を弓箭を以って防ぎ神田を守護される様子を表した舞である。 荘厳舞唄 ○ハイヨウー弓も矢も國も所も納りて、なお静かなる此の所よし。 先地しょうぎ ○はいや、そもそも将軍殿生れさせ給う年月年号 何時なるやうぐえ二年かのとの正月元日に生れさせ給う。 天大将軍殿とはこうれなり、三月三日に生れさせ給う。 中大将軍殿とはこうれなり、五月五日に生れさせ給う。 落代将軍殿とはこうれなり、そうして将軍殿生れ足落ち 所を知らせしや、白木の弓とこそとき奉る。 後地しょうぎ ○はいやそもそも此のかどにせんばふたばという木あり この木は年寄りてほどえずにおいすぐれてせい高し そうして此の木の第一の本枝に日の羽を休め奉る。 第二の本枝に月の羽を休め奉る。第三の本枝に年の羽を休め奉る。 これなり、そうして此の木の緑してかりゆうぎんと言う鳥が巣をくんで かいの内よりいちじを広めいっせんざいの法を広めたとこそとき奉る。 ○はいやそもそも龍宮城殿近くしてや ふうらいさんにあきにけりこうれなり。 んぞよき人とこそとき奉る。 |
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18 | 柴荒神 | 1 | (くろふず)様とも言れる。羽笠を冠り面を付け赤袴、腰に刀を帯び、背に榊葉を差し、扇子と面棒で舞う。面は憤怒の形相で荒々しく怒を表して舞われ「はらかき荒神」とも呼ばれる。舞終りて正面太鼓の上に面棒を杖に腰を掛け怒を充分に表す。そこに神主出でて、両者問答が繰り返されて荒神の怒りを納めるのである。この舞は宇宙根本神が荒神の姿に示現して柴のみならず森羅万象ことごとく自分の所有物である柴の一つも勝手にすることあたわずと言って神道の要義柴(榊)の本義に至るまで神主と問答するところを表現した神楽である。 柴荒神問答 荒神 一、そもそも汝我御前にさし寄せたぞとは、 あやしみ申すぞや、我すなわち天地陰陽不思議の始め、 混沌の界より天地和合のしんぎをきざし、いづれの神も すでに形成って一代三千界をなし、森羅万象ことごとく 我御前に在り、三界の頭領とは我が事ぞかし。 二、いかにも神主申さる通りこていちようにおいて天津神國津神 あらゆる諸神等におよび当社神郷専一にしよじいたさわよう、 神代の古風御神申さる段、眞事にしよじよせんばんなり。 しかしながら我御前に柴榊にしゆっけんをなしたり、 神主ながわるとおり大願成就の段許すであろう。 柴榊ほんぎいっくだん、神主広め申されよ。 三、いかにも神主良き処の願いそれことのみきを榊にかざり 給うとは真榊ちきほんきに曰く、四季しぼます夏春べつして葉茂る 故に真榊の儀あり眞が玉は日の神の正装、御鏡は 月の神の正装、こわに青にぎて白にぎて飾り給うとは、 にぎてはもとより天つ金木としょうじ、金なり剣なり よって御剣かやを飾り給うとは言えるなり 三神三矢ひょうそうなかんづく、水のしゅばんあれども 眞榊の儀は許しとらすであろう。 これに又御■(=しんにょう+神)の儀、神主ひろめ申されよう。 四、それ天の五行に八本の幣帛(にぎて)火水木金土かんこんしんそに とんだけんはっけの現神なり、これ則ち、くにさづちの命、とよこんの命、 すなちんじの命、しゃちんじの命、大となべの命、大との地の命、おもたるの命、 かしこねの命、五大八神なり、これゆえいかんとなれば五行八行生ず 八行十六を生ず十六、三十二行を生ず三十二に六十四を生じ次第次第に 数を積むこのかくの如し、水火の二つは二つになすことかたし、木金土の三つは いづれもりようぎ生ずること安し、故に五大八神なり御■(=しんにょう+神)の儀 も許しとするであろう神主しくし申されよ。 五、そもそも守護の神を感ぜざるが故なり いわく鬼神の妄挙と現示・実際の苦行にふれ行う事ぞかし、 又守護の神を感じ神恩おんしん主にして祭る時は、 慈徳自在にして諸事繁昌の徳を与えん。 六、神主「うたにいわく」 荒神「あらかねのつちよりたててうごきなく」 神主「人の心は雨の御柱」 荒神「何事も始まる時は神さめて」 神主「神の遊びに時はきらわん」 荒神「この程はむすびこめおく願の日も」 神主「今こそとくわ神の心も」 |
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19 | 柴祝詞 | 1 | 3:17。柴荒神と神主との間に問答が繰り返される。これを「柴荒神問答」と言う。問答の上、荒神の納得を得て、怒りを鎮め、神主は荒神の手を取り引いて神屋を下る。神主は一差舞い下る。神主の装束は、烏帽子に狩衣、右手に扇子、左手に「かみ」「たか」のうやまい幣を持って問答し、荒神下った後は、右手に鈴、左手にうやまい幣を持って舞う。 柴荒神問答 神主 一、此の時あしたに謹んで再拝しうつもうして掛巻も恐こき、 天照皇大神及び天人地儀八百万の神達の広前に、恐み恐みも白す。 そもそも旧例にまかせ百種最上の御酒を供え奉りさんさいの源を動かし 平げん安げく聞し召せと申す。かのさんさいの源と言うは混沌の身分いったんの げんき陽気はすんで上り、いんきはにごって下り二つに別れて天地にくらいし 共の別れの始め天に火性なる神を名付けて天の御中主の命と申し奉る。 これすなはち天地全体本元の神めいなり、天上のみ中に有って天をつかさどり給う 名あって形なく、天地自然万化の源、これを造化の神と言う。凡そ人道とは 天地皆百の本元を話るにりきぜんごうを論ぜず道の体とす。又りきみょうごうにて陰陽を 道とす。天に有りては天の礼徳を称して天神のじんごうとし、地にありては、地の礼徳を 称して、地儀のじんごうとす。故にじんごうを厚くたっとみ深く重んじ奉る。 じんごうによりて道をときたいてい神道とは天神唯一をもって語るに天道にといては、 人事に移し、じんじもって天道に配合す。神と人は又唯一なり。 これ神道のようぎにて、天のみ中主の命これ神道の本元なりと 受給はってそうろう。 二、そもそも今年今月今日の吉日の良しんをもって当兒原稲荷神社段に於て 天神地儀八百万神をかんじょうし奉る。なかんずく当兒原稲荷神社じんごう せんいつにきょけい奉楽奉る神体ほうのみ神楽ふしくけいたいなくこうぎょう致し 一天大平四海せいしつごこくぶにょうの御祈祷願い奉る。折からご神明のかの柴榊 にご出見ましまして、ござるからは、みしばをもことゆえなくごしんめい願い奉りとうござる。 三、然らば柴榊の儀あらましを申し上げるでござろう。 そもそもかのみ柴と申すは天照皇大神天の岩屋にこうもらせ給う時、 御光りをとき奉らんため、天の小屋根命はかり事をもって岩戸の御前に 植えて三種とし飾り給う。上枝には、やさかのまが玉をかけ、中枝には、やたの鏡をかけ、 下枝には青にぎて白にぎてをかけ給う。 しかうしてとこやのながなき鳥を鳴かしうるわしき音にて舞い唄い給う。 又手力男の命・思兼の命はやそもろもろの神達を皆集めて御神楽を始め給う と受給って、そうそう青にぎて白にぎては如何なる事によりてかざり申され 給うやいちいちごたくせんましませ聴聞仕まつらん。 四、かみのみ〆と申すは、天の五行に八本のにぎて、地の五行 に五本のにぎて、かの2本の〆に天地五行のにぎてを捧げ、 この一本の内つかねふじたる所を■(=しんにょう+神)とは言なり。 たとえばしようっに品々のしょゆうを書きいれ其の上を封じたるを〆とは言うが如し。 地の五行に五本のにぎてはきこえたり天の五行に八本のにきては如何に 聴聞つかまつらん。 五、掛巻も恐き天照皇大神を根本のごちゆれんにかんじょうし奉る。 奉楽古例にまかせくさぐさのいやしろをそなえ奉り、 御神楽を奏し天津祝詞をおえまつる。 |
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20 | 一人剣の舞 | 1 | 3:25。 一人舞で頭は「ツマドリ」白衣白袴、黒脚絆に白足袋、腰に赤襷を下げ、上の地は、右手に鈴、左手に扇子で舞う。下の地は、腰の襷を取り両手に持ち交互に振って舞う。次に襷を十文字に肩に掛け、お膳に乗せて出された小刀を両の手で逆手に振り、胸の上で交互させながら舞う。次に四方より小刀を持ったままで前転、後転を繰り返し最後に、先地より中央斜めに前転二回後転二回を行い舞上る。下の地になると終始、非常に厳しい舞となり若年層の祝子でなければ舞えない神楽である。神の御恵で豊作の喜びを表現した神楽である。 剣の舞しょうぎ ○剣とるをのこはここに生ぜばや、所の為に剣取らせる。 |
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21 | 綱荒神地舞 | 2 | 二人舞で装束・舞共に式四番初三舞と同じである。 | |
22 | 綱荒神 | 1 | 4:20。 式十八番柴荒神と面が異なるが外は装束舞共に同じであるが、舞い上がると正面の太鼓に腰掛け足元に大蛇を置き神主との問答が行われる。 |
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23 | 綱祝詞 | 1 | 4:30。 所作は、式十九番柴祝詞と同じであるが、問答の内容は異なり「綱問答」と言う。 綱荒神問答 荒神 一、神にけいはくごこんとほっす、神主しぜんにまことに、我神道の調和正直なり、 正直を大事にしていどしのわずらいを去り清くほがらかに、ほがらかに、さわやかなる時、 天地万物根本なり神と人とは親しくせず、故に神人不思議をさとらずと言う事なし、身にふれ心にたち口にじゅんじてゆうめいなり、たとえばしゅんにへんずるがごとし。このゆえさうさう申し聞かせん。 二、いかにも神主もっともの願い御綱の儀説き聞かせん、それ綱と言うは、ついでをたえず次第次第に引き継ぐを綱と言う。皇祖伊邪那岐、伊邪那美の命いかいさ國となしとほこを持って、おのこ島に下りまして、ともに夫婦となり給う。そのけいたいのにぎてこうごみちしぜんにいで天地陰陽をことわり、これじんしんのいみ、なおきじんじゆいいつけあり、よって天下のじょさい、祭事をとらせ給う。こうそきまわりなし。せいぎょ日月を拝み神道の極意綱の極意これなり、しかしながら願いにまかせ御綱切断を許し切断けっじょ、じんえいとさずけん。 歌にいわく 荒神、いその神ふるのきわたに掛巻も、 神主、國を治める剣なり、 荒神、いそきをやすきところにわすれなよ、 神主、おろちのにわにかけるはやぎり、 荒神、このほどは、むすびこめおく願の日も、 神主、今こそとくれ神の心、 綱荒神 神主祝詞 一、今年今月今日のりようしんを選び新にさいけつにゆげのどうばを、 かまえて、天神地儀をせいにゆし奉りみしめをやはりに取さきて、 天津金木を御神屋にかざり種々のいやしろを備へ五代しょじょうの れいそう三十二相八ッがの変心天地一円にしょこんし、終夜えんらくを奏しな いげ清浄の玉串を取り祝詞したたえ事ををへ奉る。 処にふんど極悪の形相にて、うき出でまします。神明幽明をことわり、 神祇しょでん業統の極位せんりの神交ふせっを合するが如く、 御託宣ましませ聴聞仕らん。 二、神主元よりこうようにして、けしがたしひそかに以って是をいたみ申す、 あやまちを正し教を下し給ふ、されば大願成就として旧例にまかせ、 み綱をかざり奉りてござる、み綱りじ其の訳びさいに御示し下されよがし、 しかうしてかの御綱せつだんに御許し下され、大願成就仕り度うござる。 |
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24 | 綱神楽 | 4 | 4:42。 この神楽は「蛇切り」の舞で四人で舞われる。装束は鉢巻、袈裟襷、袴を絡げ黒脚絆白足袋を着し、右手に鈴、左手に刀、二匹の大蛇(藁じゃ、胴約十二、三センチ、長さ約三メートル綱とも言う)の上を飛び越しながら勇壮に舞う。舞い終ると、蛇切りの歌をうたい終りて先地より次々に綱を切りる 、切りつけると傍らに控えた祝子が素襖をもって素早く押さえる。この綱は祝子によって社殿横の荒神林に納められる。この神楽は智剣を以って悪念妄想の綱を断ち切ることを表現した舞である。 蛇切りの歌 一、断ずる断ずる蛇(ツナ)を断ずる。ヤーッ。 二、御蛇ノ主とは我をこそ。ヤーッ。 |
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25 | 大神 | 1 | 5:00。 神屋下手中央に天の岩戸を疑した榊を立て、その中に天照大御神のお姿を表現した少年が烏帽子をかむり女面を付け女装して座す。 |
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26 | 伊勢神楽 | 1 | 宮司の舞う神楽とされている。天照大神の大前に奉納する舞で天児屋根命の舞を表している。優雅で品位のある格調高い神楽である。装束は、烏帽子、狩衣、腰に刀、右手に鈴、左手に「かみ」「タカ」の御幣を持つ、神楽途中舞手は岩戸に向いて「伊勢の縁起」を奉昌する。神楽終りは岩戸に向いて舞い納める。 伊勢神楽催馬 一、萬代止三笠乃山ぞよそうなる、天か下こそ楽しかりけれ。 二、榊葉は何時の時にか植えそめて磐戸の前の飾ふとはなる。 三、君が代は千代ともさかし天の磐戸や 出る日月の限りなければ そも第一に天照大ひるめのむちの命と申し奉るは、光りうるわしくして、くにの内を照り通り光がやき給ふ故天の上の事を授け給いて高天原に送ります。第二に月読命は是もひるめの命とひとしくして光かがやき給ふ故、大海原をしろしめし高天原に送りまします。第三にひるこの尊、是の神は生まれて三年に成る迄、足立ち給わず、天のいわくす舟にのせて風の間に間に放ち給ふ、第四に素戔鳴尊、此の神御心たけくしていぶりなる事あり。高天原にてあはなちみぞうめひはなち、しきまき串さいしきはぎさかはぎ、ここたくの罪を成し給えば大神み心よからずして磐戸に深くこうもり給う。其の時、大やまとの國は長夜のやみとなる。其の時たんせいぬきんでまします神、思いかねの命は長なきの鳥を集め八ッ時に歌いなす。天のぬかどの神はかご山のあか金をとりて、日の御形の鏡となし、羽あかる玉の神はいほつみす丸の玉を造り太玉の命は諸々の神をひきいて、みてくらを作らしめ給ふ。長白羽の神は麻を植えて青にぎてとなし、つくいみの神はかぢを植えて白にぎてとなし給う、天の児屋根の命はかご山のいほつ眞榊を根こぎにして磐戸の御前に植えて三種をかざり給う。上つ枝には八坂にの曲玉をかけ、中つ枝にはやたの鏡をかけ、下つ枝には青にぎて、白にぎてをかけ、七日七夜の御神楽を始め給う。 其の時大神の御心に思わく、吾れ磐戸に深くこうもりし故かくえらくするやとおぼしめし磐戸を細戸に開き御之いらんありければ大やまとの國は、おほろ月夜ほどとなる。其の時手力男の明神は磐戸の蔭にかくれいて磐戸をとりて引あけ大神の御手をとり参らせ出で賜へば大やまとの國は明かなる御世となる。其の時天の児屋根命天の太玉命はしめなわを作り磐戸の口に七重にひき給えばそれよりこの方、磐戸には、こうもり給わず。其の時よりかのしめ縄をしりくで縄と言うなり。 其の後天照大神は伊勢の國わたらいの郡山田の原に鎮座まします。今の内宮伊勢神宮これなり。月読の命は同山田外宮にまします豊受大神宮これなり。ひるこの命はせっつの國廣田の郡西の宮恵比寿三郎殿これなり。素戔鳴命は出雲大社に鎮りますきづき大明神これなり。 其の時の歌にいわく 一、青にぎて手ぐさの枝をとりかざし、うたえば明る天の磐戸や、舞へばぞ明る天の磐戸や。 二、千早ふるわが心よりなすわざを、いずれの神かよそとみるべき。 |
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27 | 手力男命 | 1 | 5:23。 頭に羽笠、手力男の面を付け白衣白袴、白足袋に素襖を着て、右手に鈴、左手に「かみ」「たか」の御弊を持ち姿勢を低くして舞う。天の磐戸の前の暗闇の中で手さぐり足さぐりしながら七日七夜舞続けられたと言われ、その苦労がうかがわれる舞である。神楽歌に「五ッ歌」と「七ッ歌」がありいずれも三十一文字の歌がうたわれる。 手力男命 五つ歌 一、振り立つる五十鈴の音に神さびて、人のたねこそ人の種なり。 二、くらし夜に何とて磐戸あきけり、さつけ人のうとう神楽に。 三、千早振る我が心よりなす業を、いづれの神かよそに見るべし。 四、立ちかえり又もしらへの不思議かな、身もすいて河の瀬々の白波。 五、ヤーラ不思議やら手力男の明神ましまして、 七日七夜の御神楽を御舞い給へども ついに大神出でてもめでたせ給わぬ候ものかな いざや戸かくしの明神ましまして、あんの、 天の磐戸の口を取りて引きさぶり 天が下の人どもに月日の輝き、申さむ様に。 七つ唄 一、千早振る、神にさいはい、なす時は、社々の神明、新たなりけり。 二、榊葉は、何時の時にか、植へそめて、磐戸の前のかざうとは成る。 三、東山、小松かきわけ、出づる月、あれ程広ししみの浦より。 四、敷島の道をただへし、我なれば、天が下をば、あきらかにせむ。 五、月と日と、ひとつつれまの、池の水、済まぬ限りは我ありと知れ。 六、思いやる心は空に通へども、月を手に取る、ことのはもなし。 七、月と日と、くらべて見れば、面白や、月こそまさる、やみを照らせば。 |
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28 | 戸破明神 | 1 | 5:28。 一人舞で天の磐戸開きの神楽である。こっけいな面を付け、扇子、面棒を独特に使って、踏み出す足のぎこちなさは見物客の笑いをさそう。磐戸開きに際し、扇子を閉じ面棒と共に腰に差し岩戸(榊葉)を取って投げる。取り終わると日の光が差し目がくらみ平伏して面棒を地にすりつけ廻しながら、後ひざりして終る。この神楽は手力男の舞でもある。 戸破りの歌 ○そもそも戸かくしの明神とは我が事なり。 ○そもそも日天のてつとむじょさったんし給ひし時我ごんぜん天下り。 ○そもそも手力男の明神ましまして七日七夜の御神楽を御舞い給へどもついに大神出でてもめでたき給わん候うものかな、 いざや戸かくしの明神ましまして、あんの天の岩戸を口を取りて引きさぶり御なげ候ものかな、一切しゅじょう日月の光をすぐやかに拝ませ申され様に。 |
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29 | 白蓋鬼神(あまほめ) | 1 | 5:53。 一人舞で羽笠を冠り面を付け扇子、面棒を取り舞う。滑稽な舞で見る人を喜ばせる。神屋の中央に吊り下げられた「あま」、天体を表現した円型(直径約1メートル)の白蓋の中央に色紙を小切して包みを吊しそれを面棒でつつきながら舞う。つつくたびに色紙が舞い落ちる。その下で扇子と面棒を頭上で回しながら飛び回って舞う姿は実にユーモラスな神楽である。 この「あま」に吊してある紙包の色紙は「もの種」といい、宇宙万物の種で万物はこの「もの種」より生じたものであり、天の霊徳をほめたたえて舞う神楽であるから「あまほめ」と云う。 白蓋鬼神歌 ○そもそも日天のてつとむじよさったんし給ひし時我ごんせん天下り。 ○白蓋といっぱ青黄白赤黒二体のごんけん体三体四体のあくまごう、子孫繁昌敬って申す。 ○三笠山さして来たる磯の神、何時そや鬼の宿と定めん。 |
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30 | 室の神(杓子面) | 1 | 6:05。 黒の着物に太鼓帯を締め、天の宇津女命を現した笑のある面を付け、腰にテゴを下げ、その中に杓子、擂粉木、杓文字、椀などを入れ、右手に鈴、左手に祝幣二本を持って舞う。上品な独特な舞であり途中で、テゴの中の物をそれぞれに取り出して、イザナギ、イザナミの命から始めて陰陽の道の説明を行う。神主との問答があり実際にそれぞれの道具を使って舞う。昔はズリ面が出ていたgは現在では出さなくなった。天地創造から人類発生に至るまでの説明を行い、子孫繁栄を願って舞われる神楽である。 室の神の歌 ○他の神はいづれの神か知らねども、年は寄りでも腰は弓張り。 |
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31 | 笠はずし | 12+2 | 6:09。 神屋の上(天)に吊してある笠を下ろし十二人の早乙女が、その笠を頭にかぶり六人づつ先地と後地に向へ合って並び、昔は子供達だったが現在は一般の大人達、四つんばいになり田植えの所作をするのを祝子二人が面を付け面棒を持って現れ「頭が高い」と言って面棒で頭をなでる。そこで頭を下げると今度は「尻が高い」と言って面棒で尻をなでる。先地と後地と数回場所を交代して行う。 天照大神の神多を暴風雨の被害から防ぎ豊作をもたらすように「頭が高い」「尻が高い」と称へ面棒をもって平均にしようとする所作は風雨を穏にして豊作を守護する神の舞であり、稲作儀礼の神楽である。 最後に二人の面様は懐から餅を出して配る。餅は田植の賃金に当るものであろう。又頭に冠た笠は、子供に冠せると健康で頭が良くなるとも言われている。 |
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32 | 鎮守(くりおろし) | 2又は6(今年は2) | 6:17。 ■(=しんにょう+神)が一本の場合は二人舞、三本になると六人舞となる。この神楽は■(=しんにょう+神)から神屋に張ってある注連縄の端を左手にもち右手に鈴を持って舞う。舞は、清山の下の地と同じである。■(=しんにょう+神)には天照大神を始め天神地祇の神が勧請されているが、その神々に徹夜で奉納した神楽を喜んでもらい、本津御座(もとつみくら)におかえり鎮まりいただくよう、そしてこの里を安泰にご守護くださるようお祈りして舞われるのである。 |
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33 | 成就神楽 | 全員 | 神楽奉納の成就を喜び、祝子全員と見物人も含め、これまで神楽で使ってきた、幣、鈴、扇子等を用いて、清山の下の地と同じように舞い納める。これが終りて、神送り、■(=しんにょう+神)倒しが行われる。 | |
宮神楽 | 神屋に勧請した御神体を神面に託して御本殿に送り鎮め奉り拝殿にて清山の下の地が舞われる。 | |||
神送り(かまどの神送り)(火の神) | 内神屋(神楽支度部屋)より面を付けた二人がムシロの前後を持ち中央に臼を乗せ笛・太鼓に合わせて舞いまがら進む。その後を、前後に面を持ち(杵つき)杵を持って頭上でくるくる回し時々突の恰好をして進む。次に二人の祝子が膳に白米を盛り扇子で膳の端をたたきながら白米を散らし清めながら進む。笛・太鼓が最後につく。 社務所内の大釜に着きかまどの中に杵を「ドー」と言い差し込み、火の神送りは終了する。この行事は、寒中に行われた神楽では、いかにしても各所で煮炒、炭火、多くの火が使われ、火の神には特にお世話願うのであれが、無事終了した事を感謝しなければならないという、元のかまど送り鎮め奉る行事である。 神送りの歌(杵つかいが歌う) ○しりにさいた、みさいな、前のだの、さきには。 ○しりにさいた、みさいな、うしろだの、さきには。 祝子二人の唄 ○ハラエテターマエ。キヨメテターマエ。 8:00終了。 |
※越野尾(兒原稲荷神社)神楽は、毎年新暦12月はじめ頃の土日に行われます。
※全くの外であるため、一晩中見るということは、寒さとの戦いです。防寒具を忘れずに。
※ビデオ撮影をされる場合は、各自バッテリーをご持参ください。
※説明は、兒原稲荷神社「西米良神楽第3集」を参考にしました。
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