(資料)龍宮の玉伝説


龍宮の玉

 大字田原の宮尾野に「竜宮の玉」というのが祭られている。
 これには次の様な伝説がある。
 昔宮尾野に住んでいた百姓が、或る時田原川の下流に薪切りに行っていた。一生懸命伐っているうちにどうした訳か持っていた鉈の柄が抜けて、柄ばかり手元に残り鉈は下の川の淵に落ちこんだ。
 百姓は「これはしまった」と思って急いで鉈をさがしに川におりてみたら、川の淵に沈んでいるのが見えるので拾おうとした。もう少しで手が届こうとする時、鉈はスーッと川下の方に流れて行く。仕方がないので又川下に下って鉈を取ろうとすると又、スーッと鉈は流れて下の龍宮淵に沈んだ。
 百姓はそれを拾おうと龍宮淵にもぐった。しかし今度は、何時迄経ってもその百姓は浮び上って来なかった。
 一方この百姓の家では、薪とりに行ったまゝ帰って来ないので薪伐に行った川端に行って見ると、上の淵には着物が脱いであり下の淵には鉈の柄だけが置いてあった。
 さあ大変村の人達を頼んで、附近の川さがしをしたが、遂にその百姓の死体は見つからなかった。
 家では泣く泣く残された着物を形見として持って帰り、水神様にとられたものとして村の人達になぐさめられ乍ら葬式をすませた。
 それから残された人達で初七日一周忌の寺参りも済し
 今日はその三年忌であった。村の坊さんを頼んで来て、仏前に故人をしのんでねんごろに供養経をあげてもらっていた時である。
 庭の方で「ハイドウハイドウ」と馬をせめる声がする。
 今頃馬に乗った者が来る筈はないと思って家の者が出て見ると、何と三年前に亡くなった本人が庭の塀垣にまたがって、馬をせめる恰好をしていた。
 びっくり仰天して家の中に迎え入れて三年忌は一変して喜びの祝いの座に変った。
 話を聞いて見ると「鉈とりに行った淵から次々に三つの淵から竜宮淵へもぐって見たら龍宮へ行きついた。そこで三日間御馳走になって、日とり玉に水とり玉という二つの玉と鏡をもらって白馬に乗せられて今帰った所だ。」という。
 「そんな馬鹿な話があるものか」というと「嘘かまことか是を見よ」と言って錦の袋から取り出した玉を見ると、まことに不思議な七色に輝やく玻璃の玉であった。
 人々は恐れ、畏こんでその玉を拝み竜宮行きの話を信じたという。
 その家では、その玉と鏡を神様に祭り大晦日の晩に限り神淵の扉を開いて参拝するが、其の後何年経ったか判らずその人の名前も墓も判らないが、玉だけは今に祭られており拝む必要のある時は神官さんを頼んで拝むと今でも燦然と七色の虹色に輝くという。
 又、宮尾野の下の淵は、今でも「鉈とり淵」「竜宮淵」といって村の人達は大切にしているという。


下田原 個人所蔵

以上「高千穂町史」(1973)より


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