高千穂の歴史(鎌倉〜室町時代)


武家政治の始まり
 平安時代の中頃、地方政治の乱れから豪族や農民は土地を守るため、自ら武力をもち、各地に武士集団が生まれました。
 地方の武士集団は源氏や平氏を中心に団結し、朝廷や貴族の対立する中でしだいに力をつけ、朝廷と政権を二分するまでになりました。
 こうした武士たちによる政治が始まり、封建社会が成立した時代(鎌倉時代〜室町時代末期)を中世と呼んでいます。


三田井氏への改名
 鎌倉に幕府を開いた源頼朝は国内の治安を守るため、各地に守護と地頭を置き、高千穂荘では高千穂氏が地頭職に任命された。
 鎌倉幕府が倒れ、南北朝の争いに味方し、戦いました。この頃、高千穂氏は姓を三田井氏と改めていますが、理由ははっきりしていません。たぶん高千穂荘の有力者に参戦の賞として村を分け与えられたため、村の中心の地名三田井を名乗ったものと考えられています。

   
宗重                                  佐田重


戦国時代と高千穂荘
 8代足利義政のとき、将軍、管領の相続争いから応仁の乱がおこりました。この後、各地に戦国大名が生まれ織田信長が足利幕府を倒し、安土に織田政権が確立するまでの約100年間を戦国時代と呼びます。
 高千穂荘ではこの時代になると豊後の大友氏と手を結んでいましたが、大友氏が高城川の戦いで島津氏に敗れると、その後三田井氏は島津氏に味方し、高森城攻めでは先陣をつとめました。

高千穂48塁

 三田井氏は高千穂荘を守るため、三方を谷や川に囲まれた台地や高くけわしい山などを選び、出城や砦を築きました。これを高千穂48塁と呼んでいます。
(詳しくは高千穂48塁のページへ)

      
                                                           玄武城碑文


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