高千穂町の八景

最近、「八景」についての質問が多いので、ページを作ってみました。


国立環境学研究所のHPで日本の八景のリストが紹介されています。

八景は、4世紀の中国に始まった山水画の一つに、宋の時代10世紀に描かれた瀟湘八景画がある。この絵は14世紀に我が国に伝わり、風景の一つの見方を日本人に教え、以来5世紀以上に及んで、日本の風景評価に大きな影響を与えた。室町時代に設定された近江八景が手本となり、日本中に八景が作られた。特に江戸後期には、多くの八景が日本全国に作られた。そして、近江八景、金沢八景、水戸八景など瀟湘八景を踏襲したものだけでなく、地物の条件や気象条件の影響をも受けながらに、場所により、時代により異なった視対象を含む400を越える八景を日本の各地に見いだすことになった。
http://www.nies.go.jp/sympo/2001/pos/pos10.html

高千穂町の八景には、@田原八景、A河内指野八景、B河内八景、C下野八景があります。
これらは、江戸から明治に活躍した石工、甲斐有雄が読んだ和歌であり、絵画資料ではありません。
詳しくは、冨高則夫著「広野の灯〜甲斐有雄翁伝〜」1995年2月24日という本に載っていますが、自費出版のため一般の書店では入手できません。運が良ければ古本屋で入手できるかもしれませんが、図書館でコピーする方が早いかも知れません。

@田原八景 明治25年(冨高則夫「広野の灯〜甲斐有雄翁伝〜」1995年2月24日のP287〜P288)

六角山の雪 むつ角の 山を廻ればむつ花の 木ごとに今は 見事なりけり
宮尾の越涼風 内日さす 宮尾野越る朝風に 神の心も 涼しかるらん
熊野宮の瀧 里はなれ 参りて今は御くまのゝ 瀧に心を さらしてしがな
正念寺の鐘 まさに思ふ 寺に夕つく嬉しさは 胸中にも つゝみ 鐘の音
永代橋の夕照 家ごとに 立る煙もすみそめの 夕日のわたる 永き世の橋
田原の稲香 引ならす 鳴子たゆめばなびき落て 田原千鳥の賑わいにける
染野の月 秋の露の染野の原を見事にも 見するはけふの 月の影かな
玄武山の花 ものゝふの 住にし跡の山桜 むかしを匂ふ 花の阿われさ

A河内指野八景 明治33年(冨高則夫「広野の灯〜甲斐有雄翁伝〜」1995年2月24日のP168〜P170)
有藤氏付近の八景を詠っていますが、実際は景は九景、歌は十首詠んでいます。

染田 蓮す花の染田にけふは歌枕 思うどち 春あそびする
月遊亭 指野なる 高きうてなに登りくる 月をながめて 涼しかりける
向瀧 夏過ぎて 秋の中半にむかふ瀧の からくれなひに紅葉せにけり
今森 こがらしの 風に落葉の淋しさに 花とながむも 今森の雪
大戸口 松風の吹き立にける大戸口 あけの近さにぬるぬるときぬ
大窪 露霜のおくぼの野辺の萌出て 妻こふじきの 声のおちこち
妙見 たれもかも 我も先ほど袖ひぢて 結ぶも深し 妙見のみづ
金比羅宮 さぬきなる浦波寄する音すとも 聞ことひらの 松の夕風
地蔵 立地蔵 露しのばれて 木の本に 幾世かすきの 宿り成らん
月遊亭 田毎にも 天照月の影見へて これのうてなはたのしかりけり

B河内八景 明治25年(冨高則夫「広野の灯〜甲斐有雄翁伝〜」1995年2月24日のP288〜P289)

冨高則夫「広野の灯〜甲斐有雄翁伝〜」1995年2月24日のP288〜P289
久重峠新道 七重八重 九重峠をふみこえて 行かふ人の たえせさりけり
鳴瀧神水 音に聞く 神の恵みのかしこくも いまハ薬となる 瀧の水
高嶽明石 こも枕 高嶽の祢の青石は 神佛ともなるぞ 尊とき
丸山晴嵐 雲きりも 朝の嵐に吹はらいて くま無見ゆる 丸山の景
西河内歸車 志らぬひの 肥後の産物をば とく積て 河内へかへる 馬くるまかな
甲頭城松 志路阿との 松は昔の形見にて 今にも色の かわらざりけり
熊野社祭 みそぎする 熊野の森の夕風に 心もいとゞ 涼しかりけり
波歸の瀬漁 漁人等が くる日くる日に集りて 篝火たへぬ 波歸の瀬のにき

甲斐畩常「高千穂村々探訪」1ます992年4月10日P209〜P215にも西河内にある河内八景の石碑を判読したものが書かれていますが、若干順番や解釈が違って書かれている。最後に有雄の署名があるものと無いものもあります。

甲斐畩常「高千穂村々探訪」1992年4月10日P209〜P215(■は判読不明。斜体字は判読が明確でないもの)
崩野峠新道 七重八重くえの峠の新道は ゆきかふ人のたえせざりけり 有雄
鳴滝神水 音にきく神の恵ミのかみの水 いまは薬となる滝の水
高嶽名石 こも枕高嶽の根の青石 神佛ともなりぞ尊き 有雄
熊野神柱御祓 みそぎする熊野の森の夕べ風心もいとど涼しかりけり 有雄
丸山晴嵐 雲きりもあきの嵐に吹き拂い くまなく見ゆる丸山の景 有雄
城跡松 志ろあとの松は昔の形みにて 今にも亀を■ざりけり 有雄
西河内 しらぬいの肥后の産物■■積みて 河内へかへる馬車かな 有雄
波帰の瀬 崩壊しており読めない。

C下野八景 明治24年(冨高則夫「広野の灯〜甲斐有雄翁伝〜」1995年2月24日のP290〜291)
景は八景、歌は十二首詠んであります。

焼山寺ノ雪(今山寺) 白砂の 雪の夜にまとわせて 今は仏に せうさんじ山
焼山寺ノ雪(今山寺) 名も高き 吉野の山にせうさんじ 花と見るまで 夕暮の雪
雲井都 花 君と我 ともに心をくもいとの はるばる花を 見るぞ嬉しき
雲井都 花 ささかにの くもひとかけし 朝ばへに 花見る人 むらがり来
荒神鼻ノ夕照 荒神の はなに懸けたる高橋を 渡る夕日の 影そ長閑し
荒神鼻ノ夕照 長橋を ながめ渡る夕照りは 阿かき心よ 荒神 はな
八幡森の鳩 武士の 傳へ尊き八幡山 寝覚も清き 鳩のこえごえ
八幡森の鳩 阿づさ弓 やはたの森のふくろ鳩 静かなる世を 唄ふ声々
八幡森の鳩 神さびし 森の梢をながむれば 礼をたゞしく はとのおりけり
浮動嶽の晴嵐 ほらがいと 共に吹出す 不動がたけの 雨は晴けり
浮動嶽の晴嵐 不動が瀧 嵐ほらふく音すれば 祈るまにまに はるゝあま雲
浮動嶽の晴嵐 久かたの 雨の八重雲吹はらふ 不動がたけの にしきなりけり
岩戸越の月 ひさかたの 天岩戸の峠より こえてすかしき 夏の夜の月
尾坂峠の雨 山鳥の 尾坂の道のながながと 通ふ嵐は 雨をともとて
浄光寺の鐘 御佛の 浄き光の寺の鐘 つくづく聞ハ 嬉しかりけり


【参考文献】
冨高則夫「広野の灯〜甲斐有雄翁伝〜」1995年2月24日
甲斐畩常「高千穂村々探訪」1992年4月10日
夕刊デイリー1997年4月10日「御用の旗が日向路を行く」第4部伊能忠敬『測量日記』から(231)「甲斐有雄翁『下野八景』は明治24年の風景」
夕刊デイリー1997年8月28日「御用の旗が日向路を行く」第4部伊能忠敬『測量日記』から(305)「甲斐有雄翁の詠んだ『田原八景』和歌」
夕刊デイリー1997年11月18日「御用の旗が日向路を行く」第4部伊能忠敬『測量日記』から(345)「『河内八景』碑を冨高則夫さんが複刻」
夕刊デイリー1997年12月23日「御用の旗が日向路を行く」第4部伊能忠敬『測量日記』から(363)「甲斐有雄翁の『河内八景・歌碑』を保存」


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